百姫夜行外伝~Circulation~Second perspective①

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中秋も既に過ぎ去った暦のある日、19 時過ぎのことである。

ここ白山三滝に、ひとりの男が佇んでいた。

白川三滝とは M県O市に存在する観光名所であり、まずは上下二段の男滝と女滝。

さらに山奥に存在する龍滝の都合三種の滝、まさに三滝をあわせての総称である。

同時にここは、その男にとって思い出の場所でもあった。

いまも脳裏をよぎる、彼が家族との楽しみをいまだ共有できていた頃。

かつて家族旅行において訪れた、もっとも楽しい記憶の残る場所。

だがしかし、今の男にそのような表情は既にない。

彼はもはや妻にも子にも裏切られ、また職場においても上司は勿論同僚たちにも裏切られ
続けていた。

そこには彼を思いやる優しい言葉など、ただの一つとしてなく――

投げつけられるのはただ、限りのない罵声と嘲笑のみだけであった。

ところが彼はそのことを、むしろ当然とさえ思っていた。

自分はあまりにも、彼らに奉仕をしすぎていた。

どこまでも、都合の良い存在になりすぎていた。

――つまりは完全に、舐め切られてしまっていたのだ。

いつしか、自分に対する感謝さえも喪われはじめ――

義務として果たしていたはずの労働や育児は当然するべきものへと変わってゆき、遂には
本来あるべき権利すらもなくなっていった。

その結果あらゆるものに絶望した彼は、ここを最期の死に場所と定めていたのだ。

ところが運命は、そんな男を見放すことをしなかった。

「夜分に失礼――こんな時間に、いったいどうしたのです?」

どこまでも虚ろな男は暗闇から響く奇妙な声に今更驚くこともせず、ごく自然にその足を 止めていた。

その声の主こそは、斎藤マクマ。

アメリカ合衆国を活動の本拠地とするナイトメア(夢魔)であった。

そしてこれこそがマクマと、数分後には自ら死を選ぶはずだった男――

鈴木一郎(後の、藤木流)との出会いだったのである。

それから一年の後。

1999 年 9 月 15 日、13 時 15 分のことである。

「おや、あなたから電話とは珍しいですね――今ですか?ええ、大丈夫ですよ。……御巫
澪、ですか?」

今では彼の弟子として、別人のような成長を遂げた鈴木一郎。

つまり藤木流からの電話を受けたマクマは、彼の住処であるハイクラス・マンション上層
階のキングサイズベッドにその身を横たえながら、思わず眉を顰めていた。

御巫澪とは、伯王神招姫の一人として名高い人物である。

神招姫とは本邦を守護する役割を担う存在であり、その神招姫役を拝しているのはいわば
御三家とも言われる一族のものたち。

まずは、前述の御巫(かんなぎ)家――。

続いて神薙(かんなぎ)家、最後に甲凪(かんなぎ)家という三家であった。

それぞれに持つ同一の韻が、相互の歴史と因縁とを感じさせる。

ちなみにマクマがその名を聞いて見せた反応には、やはり訳がある。

彼はその丁寧な物腰のためもあって、いっけん底の見えない余裕を醸してはいた。

ところがいざ蓋を開けてみれば、彼の淫魔としての能力は自らの姿を変化させる擬態。

加えて相手によっても効果範囲が限られる、お世辞にも強くはない催眠能力のみ。

それ以外では直接の戦闘能力にも乏しく(ただし淫魔ではあるため、一般人よりも遥かに
強くはある)、実は大した取柄もない下級淫魔なのであった。

そのような彼が有利に立ち回るためには、何より情報とコネクションがモノを言う。

まさに“先んずれば人を制す”の喩えのように、誰よりも先に――

しかも正確な情報を掴むことが、彼マクマの命綱とも言えるのである。

なかでも特に重要なのは、自らを滅しようとするものの情報だ。

つまり淫魔の敵となるであろうもの達の情報は当然に、何よりも欠かせない。

そのため今では彼の弟子となった、かつての鈴木一郎――

つまり藤木流にも事毎に探りを入れさせ、常に情報を集めさせているのだった。

「いや、何でもありません――それで、彼女がどうしましたか?」

マクマは何事もない態を装い、ときおり相槌を打ちながら流の話に耳を傾ける。

「なるほど…貴方の勘がそう告げているのならば、恐らくは間違いのないことでしょう。
山岳修験者として厳しい修行を経て、第六感はもとより霊力までをも研ぎ澄ませた貴方の
いうことならばね」

流の話を要約すれば、それは概ね次のような内容であった。

彼はマクマの言葉どおりに山岳修験者としての修行を今でも欠かさず行っており、ゆえに
霊山の道場にて澪と出会い、互いに知り合っていたというのだ。

その後はときおり精の遣り取りを行い、その力を澪に与えているということであった。

ところが、最後に出会った際のことである。

流のそれこそ常人離れをした勘処が、ふとしたことから今後澪に齎されるであろう危険の
予兆を察知したというのだ。

それから彼は澪の周辺を調べていく中で、謎の男たちに襲撃されたことを告げた。

ちなみに流はマクマの催眠によって、今では恐ろしいほどの才能を開花させている。

師匠の方はともかくとして、まず彼が何者かに撃退されるなどということは考えられない。

つまりはこのような経過を辿るうちに、澪の身へと迫る危険が並大抵のものでないことを
確信したのだという。

「――わかりました。それでは、私の方でも調べておきます……そうですね、少しばかり
時間をください――」

マクマはまずそれだけを告げたが、その後に少し時間を置いて続けた。

「……それから、これ以上騒ぎが大きくなっても面倒なので――ひとまず、山から下りて
姿を晦ませておいてくれませんか。もちろん、闘いの準備はしておいてください。退魔・
対人どちらに対しても、いつでも闘えるようにね。もちろん澪さんの居場所などは、私が
調べておきますので――」

ひとしきり流に指示を出したマクマは電話を切ると、わざわざ鷹揚にベッドからその身を
起こして立ち上がる。

「やれやれ。これは大物ですね――」

彼がそう独り言ちたのは、強ち虚勢とばかりは言えぬであろう。

マクマはいちおう流の師匠ということにはなっているが、先にも述べたようにその正体は
単なる下級淫魔のひとりである。

とはいえ腐っても魔族であるから、ただの一般人では傷一つ付けることすら能わない。

仮に、重火器の類を持ち出したとしても――である。

しかし一方に作用があれば、他方また反作用を生じるのがこの世の理。

か弱き人間といえども、決して無力ではない。

ここ日本においても淫獣妖魔の類は古今枚挙に暇がなく、それが故に古より対策がなされ
ていたのである。

まるでその出生が、魔を打ち祓うことを定めとされたかの様に。

人間の中にも、霊的に強い素養を備えたものたちが現れていたのだ。

あるいは神の遣い、寧ろ神それ自体であったとの伝承は数え上げればきりがない。

彼ら彼女らは厳しい修行に臨むことでその能力に磨きを掛け、人知れず闘いを繰り広げて
きたのである。

そして、時は現代――。

間もなく 21 世紀を迎えようとするいわば世紀末の世界にあっても、マクマのような魔族
連中は当然のこと、神招姫に代表される異能の持ち主も変わらず存在をしていた。

古代に於ては災害とも称される、烈しい対立構造こそ影を潜めていた一方。

時代を下れば下るほどその関係は複雑に、そしてより陰湿に深化を遂げていた。

つまりは嘗ての如き強大なるも、安直な恐怖支配の類ではない。

彼ら魔は人の世の理すらも利用する形で、その内部へと巧妙に滑り込んでくる。

その結果一見して平穏が装われながらも、常に何処かで人知れず跳梁跋扈を許す事態と
なっていた。

わけても現状をさらに複雑化させていたのは、人魔の協力関係である。

もし共に、永らく逃れえぬ存在であるならば。

相互に対立するだけが、在るべき全てではない。

そもそも利害が一致するならば、手を組まぬ理由もない。

故に単純な善悪二元論の構図ではなくなっていることも、表向きの統治機構としてはより
政治的かつ大局的な見地が求められる要因となった。

そこで世界各国とも、組織化して対抗することを余儀なくされていく。

これまでは不規則かつ単独、つまり手前勝手に活動していた霊能力者たちを一元的に管理。

組織としての専門機関を設置していくこととなる。

その一例がこの日本であり、神器省と神招姫あるいは羽賀神道などがそれにあたる。

くわえて、新たな霊能力者の発掘や育成も急務となる。

政府として組織化した以上は、自然発生的なものだけに依存できないためだ。

その教育組織として顕著なものの一つに、私立星辰学園がある。

羽賀大社・社山隣にあるこの学園には日本で唯一の呪術科が存在をしており――

仮に僅かであっても可能性のある学生を集め、日々後進の育成に努めているという状況と
なっている。

一方で全世界的には淫魔などの魔族に対抗して聖護連合(ユナイテッド=ホーリーズ)が
結束されており、各国ともに横断的な協力関係にある。

とは言えその影響力は加盟諸国の実力(ヒト・モノ・カネ)に比例したものとなっており、
日本はその中において上位 3 指に入る立ち位置を得ていた。

そこでまず疑問となるのが、淫魔であるマクマが何故ゆえ今日まで生き永らえているのか。

しかも、この日本という土地柄にあってという点である。

彼は国籍といったような意味においてはアメリカ合衆国を一応の拠り所としているものの、

現在の様に日本で活動を行うことも珍しくはなかった。

つまりは決して危険浅からぬ彼岸の地において、抑々下級淫魔である彼が存在を許される
道理もない。

ところが彼が並の魔族とその意を異にするのは、極めて自己分析に長けていたことだ。

マクマはその弱さ故、己の長所と短所とを完璧なまでに理解していた。

そこで彼は自らの武器である特殊能力と、その活用技術にのみ一層の磨きをかけていく。

催眠・変化(擬態)、そして性行為による子宮への烙印という間接支配。

これら全てを、ある意味において極めた結果。

本来であれば己が敵うはずのない退魔師すらをも、自らの手駒とすることに成功していた
のであった。

しかしながら、彼の恃みとする催眠能力には難点もある。

それは対象が自分に信頼を寄せる、つまり心を開いていないと殆ど効果を表さないという
ものだった。

一方でマクマを心酔するほどの相手であれば、絶大なる力を発揮する。

その事実は自殺一歩手前の鈴木一郎が強大なる修験者・藤木流となったことが例えて解り
易い。

続いて変化(擬態)能力であるが、実にこれだけは掛値無しと言えた。

その気になれば虫の一匹にすら姿を変えることが出来、まさに魔法を見せるが如きに卓越
した能力である。

ちなみに彼は出会う相手ごとにその姿や口調などをじつに細かく変化させており、例えば
そのこと自体によっても巧みに油断させたり、信頼を得たりもしている。

猶、もう一つの要素である子宮への烙印についても触れねばならない。

それは、マクマが紛れもない淫魔たる所以でもある。

彼ら淫魔の食料であり餌でもある、人間の女。

主に性行為の結果その子宮へと自らの精を放つことで、彼独自の烙印を刻むことができる。

この烙印を刻まれたものはいずれマクマの支配を逃れることが出来なくなるという、絶対
かつ不可逆的なものである。

ただし絶対とも思える烙印にも一応の制限があり、ただの一度だけでは完成しない。

究極の完成形は放った精により対象者に妊娠をさせることだが、幾たびか繰り返すことに
よってもある程度強固なものとすることは出来る。

つまりは、その度合いに応じての支配が可能となるというもの。

さらに彼特有の能力は、もう一つある。

それは昼間、つまり昼日中にあっても行動が可能であるという点だ。

一般的な夢魔や淫魔の類は主に夜間に於てのみその真価を発揮するが、彼マクマの場合は
まったく影響を受けない。

以上これらの総合的な活用により、修羅場とも言うべきこの地においても彼は生き残って
きたのである。

更に、前述の如き能力により獲得した手駒の存在も欠かせない。

現在の最高戦力兼性奴隷としてまず名が挙げられるのは、日本国政府・神器省に所属する
鷹城八雲と九条院法子の両名である。

ちなみに性奴隷という表現からも解るとおり、二人ともほぼマクマの手中に落ちている。

何故完全ではないかと言えば、最終完成形である妊娠というものを淫魔ではさせられない
からだ。

つまり、精の搾取をその存在意義とする淫魔であればこそ――

収奪はできても、循環という形で与えることは不可能だからである。

そのためいくら催眠や子宮への烙印で相手の認知を変えられ、自分の虜に出来たとしても
やはり完全ではない。

相手を妊娠させなければ、刻んだ子宮の烙印は依然として未完成のままなのだ。

それがマクマの不安材料として常にあることは、幾らか理解を深めれば判る。

特に生死が繋る状況に於ての手駒としては、やはり不安が残るのだ。

何らかの介入やアクシデントによって、その催眠が解けることも想定される。

人は彼を評して、臆病者と罵るかもしれない。

しかしこの慎重さがあるが故、彼はナイトメア・斎藤マクマなのである。

ただ、例外がないこともない。

マクマは偶然にだが、一度人間を妊娠させたことがあるのだ。

その女性は産後、不幸にも交通事故で亡くなってしまったが――

それは彼が討伐をされかけ、まさに生と死の狭間にいたからこそ出来たものであった。

まさに理解の範囲を超えた、偶然と奇跡の産物であったと言えるだろう。

そのとき彼は、実際に死にかけていた。

あるいは半分以上黄泉の国(悪魔にとっては些か不正確であろうか)へと足を突っ込んだ
せいで、そののち長い間戦闘不能状態へと陥ってしまっていた。

つまりはリスクが高すぎるため、その手法を彼が選ぶことはあるまいと思われた。

ちなみに彼がある意味において丁寧すぎる程に相手との信頼関係を重要視するのは、勿論
催眠のためもある。

しかし最大の理由は、人間はその感情により著しく変化することを見ているためだ。

つまりは愛憎などによっても、想像以上の力を発揮することを知っている。

特に人間の女は彼にとって食事であり餌である一方で、恋愛感情によっても大きく変わる。

その想いが強いほど、どれだけ相手に尽くすようになるか。

マクマはそれを熟知している故、出来得る限り木目細かい対処によって歓心を得ることに
努めているのだ。

いわば、遠回りで七面倒な一方――

彼はそのために、自身の天敵である巫女や退魔師などを調略することにも成功している。

言うなればそれが他の淫魔と最も意を異にする点であり、またそのことによってマクマは
人間そのものに更なる興味を抱くようになっていった。

彼がこのように人間界に身を置きながら活動をしているのは、そのためである。

さて此処で、その八雲や法子の所属する神器省についても触れる。

神器省の退魔組織に、紅薙姫と呼ばれるものがある。

所属する退魔師たちは姫となり、姫は刀と結ばれる。

刀と結婚、つまりは“刀婚”し――

拝刀のすえその魂と力とを己のものとして取り込み、そして魔を祓う。

その際の媒酌人を務めるものこそが、神招姫役御三家筆頭にして伯王神招姫御巫家の長女、
御巫涼皇である。

つまりは呪術的な能力にも長けていると考えられ、その助力を受けることが可能ならば。

あるいは彼にとっても、新たな選択肢があるのかもしれない。

ちなみに前三家は御巫家、神薙家そして甲凪家を指すが、最も著名かつ実力を備えている
のが御巫家であった。

特に政府中枢との繋がりも取り沙汰され、先の戦中戦後に於ても様々に暗躍をしたことが
実しやかに囁かれていた。

一方ではやはり閉鎖的な側面もあり、また情報公開の埒外にあるために秘密も多い。

それでもマクマの入手した情報によれば、特に死体や術具などにも造詣が深いという話も
伝わってくる。

仮にその場合、例えば人間の死体に魂のみ憑依させるなどの方法により、淫魔であっても
一時的に人間と同化する術があるのかもしれない。

もっともこれはあくまで可能性の話であって、実際には未知数である。

「………」 そこから、流の話を併せて考えてみる。

彼が浅からぬ縁を持つ御巫澪とは伯王神招姫御巫家の次女、つまり涼皇の妹である。

血縁以外の人間関係としてはどうあれ、流が妹の救出に動くとなれば――。

マクマとしても接点を持つことは、十二分に可能性のあることだ。

ただし下手を打てば、マクマ自身が祓われる可能性もある。

寧ろ当然の帰結であるのが、笑えないところではあった。

一方では、流を襲撃したという男たちについても考える。

話によれば、その全身は上から下まで黒一色。

所謂黒服の男たちは、拳銃を携行していたらしい。

しかも警察機構のそれではなかったと言うから、背景を探るにはやや時間がかかりそうだ。

「………」

とにかく、情報が少ない。

そのうえ直接戦闘能力に欠けるマクマは、流のように最前線へと出ていくことにはやはり
躊躇いがある。

彼は顎先に軽く片手を添えると、眸を閉じて少しばかり思案をしていたようであった。

「―――」

暫しの後でふと瞼を開いたマクマは、そのまま視線を上げていく。

どうやら行動の目途が立った様子で、先ほど切ったばかりの電話に手を伸ばすと徐にその
口を開いていった。

「もしもし……ええ、私ですが――実はあなたに依頼したいことがありましてね。まずは
3つの“かんなぎ”家の現在の状況。そして伯王神招姫御巫家の次女、御巫澪の行方――
最後に伯王筋神招姫総代・八幡神威の周辺調査をです。もちろん、難しいことは分かって
いますが。あなたの腕を買ってのことです――ええ、よろしく頼みましたよ、レイカ」

マクマは用件を伝え終わると、再び静かに受話器を置いた。

そのまま傍らへと目をやった彼は口元を僅かに歪ませ、また呆れたように呟く。

「……おやおや、いつまで失神してるんですか?――まったく、情けない……」

マクマの半ば呆れたような呟きと共に向けられた視線の先には、ベッドサイドで仰向けに
横たわる全裸の女がいた。

一瞥して長身とわかるその女は肩口辺りまで伸びた髪を無造作に放り出しながら、やたら
と目立つ巨大な乳房を惜しげもなく晒している。

その下から覗く括れた腰回りと、豊かな尻から伸びる両脚はすらりと長い。

この女こそが彼の支配下にある性奴隷のひとり、鷹城八雲であった。

もっともマクマが嗤ったのには、それ相応の理由がある。

八雲はもはや触れられてもいないのに、未だにビクビクと痙攣をさせ続け――

涎や鼻水すらも垂れ流しながら、ただ恍惚の笑みを浮かべているのだ。

「……!……!!」

その身体の上に浮かぶものは、八雲自身の汗と大量の粘りを帯びた体液。

もちろんマクマの放ったものも様々交じり合い、また溶け合いながら其処此処に半透明の
デコレーションを形成している。

その下に覗く赤みのさした肌には、まるで吸盤ででも吸われたかのような跡が大量にでき
あがっていた。

まさに、情事の残渣ではあるが――

既にシャワーを済ませて残り香さえもないマクマと、八雲の無残極まるあられもない姿が
実によい対比をみせていた。

「なんですか、その様は――まったく、気合が入ってませんねぇ」

ピシイッ!!!

マクマはそう呟くと、その無防備かつ豊満なる八雲の胸肉を平手打ちにした。

ところが当の八雲は、それすらをも暴力的な愛撫と受け取った様子である。

「おオ゙ゔッ!?おっ、ほおおおおおぅッ!!――はぅッ、アっ…ひあッ!!」

――プシュッ……ビュ…ピュルッ、プッシャアアアアッ!!

八雲はひときわ大きな野太い声を上げながらあらためて絶頂を迎えたと見えて、その背を
大きく弓形に撓らせた。

柔肉の割れ目からはまたもや体液を潮の如くに迸らせ、ぶるぶると震えた後で更に痙攣を
続けている。

「はぁ。まったく、救いようのない子だ――」

マクマはそう呟くと八雲を放り出したままで部屋を後にし、ひとり白山三滝へとその足を
進めるのであった――。

かくして白山三滝、かつて鈴木一郎との邂逅を果たした場所へと辿り着いたマクマは早速、
その奥へと足を踏み入れていく。

近年において観光客で賑わうのはあくまで表面上の三滝周辺であって、ほぼ獣道と化した
小径を知るものは殆ど居ない。

元々は一定規模の集落ではあったらしく、人気のない山中には既に廃墟となった鉱泉宿も
朽ちるに任せながら取り残されている。

いわゆる廃墟巡りを趣味とする若年層が、建物本体や温泉の跡地に足を踏み入れたという
話も聞かれていた。

一方で行方不明となった者もおり、今では所轄警察によって防犯上の観点から立ち入りを
禁ずる旨の看板が設置されている。

彼らはいったい、何処に消えたのか?

おそらくは、天狗に攫われたのだろう。

いやいや、正体不明の化け物に喰われてしまったに違いない――。

いまだにオ゙カルティズム全盛の時代背景にあって、そのような噂ばかりが先立つ結果と
なっていた。

ただし警察当局が調査の結果そのような結論へと至るわけにも行かず、単なる失踪事件と
して処理をされているのが実情だ。

「………」

マクマは建物を横目にしながら、更にその先へと進んでいく。

といっても道なき道であり、そのうえ一段と険しさを増していくのだ。

この先に何があるかを知るものでなければ、到底先へは進むまい。

果たして先へ先へと登っていくと、僅かに拓けた先には小さな小屋と滝とがあった。

ここは何を隠そう、流の住居兼修行場なのである。

まさに世捨て人の体現であるが、それには一応の理由もあった。

とはいえ師匠のマクマですら、よくもまあこのような所に住んでいるものと感心するよう
な場所ではある。

ところがこの日の有様は、些か趣を異にしていた。

壊れて機能を失った南京錠はそのままに、扉を開けて中へと入る。

小屋の壁には何かが叩きつけられたような傷跡のほか、無数の銃撃の痕――

さらには、少なくない量の血痕とが残されている。

「………」

マクマは何があったかを何となく想像しながら、部屋の片隅へと目をやった。

おそらくは流のものであろう折りたたまれた布団の中を探ると、一丁の拳銃を取り出して
早速調べ始める。

「なるほど。グロック 17 ですか……確かにこれは、警察機構のものではありませんね」 

それは、オ゙ーストリアの銃器メーカーであるグロック社が開発した自動拳銃。

アメリカ合衆国においては州警察に制式採用されていることも多いものの、ここ日本では
少なくとも使われてはいない。

これは彼が流に先頃頼んでいたもので、襲撃者つまり黒服の男たちが使用していたという
拳銃を奪ったうえ証拠保全してもらっていたのだ。

山岳修験者としての流は、当然銃器を扱わない。

故にその種類については詳しくなかったが、マクマは元々アメリカ合衆国を本拠地として
いたため、多少なりとも知識があった。

しかし問題は銃そのものよりも、それが使われた理由と背景である。

「・・・確かに使われたことは間違いないようですが、一体どうして――」

ひとまず現場での調査を終えたマクマは首を傾げながら、ただでさえ人気のいない小屋に
別れを告げて一先ず白山神社へと下って行った。

白山神社とは件の三滝にもほど近い、伯王筋つまりは伯王神招姫・御巫家との所縁を持つ
社のひとつ(ただし末席)である。

聞けば流はよくこの場所に立ち寄るようで、それが起因して御巫家次女の澪とも浅からぬ
繋がりを持つに至ったというわけだろう。

もっともマクマとしては自らの生存のために、人脈いわゆるコネクションというものにも
極めて大きな価値を置いている。

何はともあれ、それ自体はいちおう喜ばしいことだ。

そのようなことを考えながら辿り着いた白山神社には、浮かない顔をした巫女が一人いる
だけであった。

彼女の名は、高橋清花。

マクマはもちろん流とも様々に交流がある、普段は明るく優しい少女である。

まずは挨拶を交わした後で、主に御巫澪に関する話題について話を向けていく。

「そうですね……私には良くわからないんですが、流さんと何か修行をしていたようです。
きっとお二人のことだから、厳しい修行なんだと思いますが――」

因みにではあるが、目の前の清花には抑々巫女としての能力や素養が著しく欠けている。

というよりも寧ろ、ほぼ完全に無い。

ついでに言ってしまえば、その身体の凹凸についてもまた同様である。

なお彼女には持たざる者の常として、グラマラスな同性と入浴することを好む傾向がある。

ところがその持ち物の、あまりの歴然たる違いと現実とに打ち拉がれ絶望。

しかしその絶望すらも却って癖となっている、今一つ良く分からないところがある。

さて、夢魔のマクマですら一応は巫女が持てる力の機序に関する予備知識はあった。

巫力は己が身を介して授受できる精の規範を指し、呪力はその授受における効率性を示す。

精の入れ物たる才と、循環路たる才。

もしくは、依坐としての能と術者としての能。

ちなみに澪の場合においては、残念ながら資質としての巫力がやや劣る。

そのために彼女はそれを補うため、巫女として身体の清らかさを絶対視するのではなく。

敢えて他者と交わることで、その力を得る道を選んだのだ。

つまりは精の遣り取りにおいて、相手から強い精を供給してもらうこと。

もっと赤裸々に表現をすれば、性行為によって力を得ているということなのだ。

さらに身も蓋もなく、しかも清花の言葉を借りて極言するならば。

要するに流と澪とは、日々セックスという名の修行に励んでいるわけだ。

「……そうか。おそらく、そうなんだろうな――」

もちろんマクマとしては、そのことを充分に理解している。

ただし目の前の清花にそのまま告げることは流石に躊躇われたので、曖昧な返答で濁すに
止めていた。

一方で事の本質を理解していない彼女は、それでも二人の表面的な雰囲気に引きずられて
いることもあり一人で深刻の度を増していく。

「でも……澪様に何かがあったみたいなんです。私には一体何があったのかは分からない
のですが、最近はこちらにもめっきり御出でになりませんし……。それで、流さんが澪様
の行方をお探しになっているようなのです」

「ああ、そのことなら聞いたよ。なに、大丈夫さ――なにしろ流は強い。なんと言っても、
この俺の弟子なんだから」

マクマはやや大仰に親指で自分を指さすと、冗談めかして清花の笑いを誘う。

しかし、清花は笑わない。

相も変わらず、心配そうな表情のままである。

ちなみに清花は巫女としての力が決定的に不足している反面、コミュニケーション能力は
極めて秀でている。

つまりは優れた共感能力のため空気感を掴むのが非常に上手く、時にはお世辞や愛想笑い
などもしっかりと交えながら、相手の深層心理を引き出すことが出来る。

そのために感情の起伏が少ない流にあっても、彼女とはよく話しているというわけだった。

一方でそんな清花から所謂塩対応を受けたマクマはそれだけに、より何か別のものがその
原因となっているのではないかと気がついたのだ。

「・・・何か、あったの?」

マクマは表情を引き締めると、あらためて清花に尋ねた。

彼女もまた平板な胸の前で両掌を包むように合わせると、静かに視線を起こして告げる。

「いえ、何かが起こるんだと思います――」

「………」

その瞬間のこと、ふと一陣の風が彼らの周囲を吹き抜ける。

マクマはただ黙ったまま、その眼差しのみで清花に続きを促していった。

「伯王筋神招姫総代、八幡神威様が動かれているようなのです。先日このお社にも布告が
届きました。いつ柱様をお戴きしても恥じぬように、精進潔斎を為せ――と。……つまり、
勧請です」

「ふむ……」

「――父は布告が届いた日から、その意味をずっと考え込んでいます。……もちろん私も
穏やかではいられません。こんな末席の神社ですら、こうなのですから……」

「なるほど……」

そのまま言葉少なに俯く彼女の姿は、いつになく珍しいものだ。

マクマはその傍らへ静かに回ると、いきなり清花の腋を擽った。

「……ふひゃぁッ!!?」

途端に分かりやすく驚いた彼女は、僅かに距離を取りながらマクマを軽く睨みつける。

困ったような照れたようなその表情からは、一瞬だけではあるが翳が消えていた。

「も、もう……セクハラですよ!!」

「まあまあ、俺と清花ちゃんとの仲じゃない――」

マクマはその反応に僅かな笑みを浮かべると、一方では真剣な口調で語っていく。

「それに、そこまで心配はいらない――今回の件は確かに、裏で様々な思惑が蠢いている
のは事実だ。それこそ、三つの“かんなぎ”も含めて――」

「………」

「まあ、必ず解決してみせるさ。神威や布告の件は、こちらでも分かっている――だから、
俺や流を信じていてくれ」

穏やかながら力強く語る一方で、マクマは同時にこう思ってもいた。

八雲や法子に比べ、なんと貧相な身体であろうか。

少女というよりはまるで、痩せっぽちの少年と表現する方が相応しい肉体である。

もっとも普段は件のようなグラマラスな女ばかりを手にかけているだけに、より一層強く
そのように思われたのであろう。

一方ではしかし良く言えば可憐であり、性的な意味ではない本来の可愛らしさは十二分に
持ち合わせている。

そのような意味においては保護欲としての側面からも、抱きしめてはみたくなる。

「もう……“神威”だなんて。八幡神威――様ですよ?」

清花もどうやらマクマの話を聞いて、幾分かは元気を取り戻したようである。

そう窘める様には言いながらも、ほんの少しだけ笑顔を見せた。

マクマもつられて、その頬を緩める。

「―――」 しかし彼は一方で、同時に色々なことを考えてもいた。

今回八幡神威が出したという勧請とは、つまり新しい神を招くという意味であるらしい。

マクマはそのように、流から聞かされていた。

新しい、神。

そして神を招くとは、様々に解釈ができる言葉だ。

この現代において、本当の神を招くのか?

あるいは疑似的であったり、婉曲的な表現の一種なのか?

――だいいち、抑々が良い神であるのか?

特に古代に於ては天変地異の尽くがまさに神の名を負うそれであり、ただ破壊と死のみを
齎す恐ろしいものでもあったからだ。

くわえて、羽賀透基が不気味なほどに動いていない。

羽賀透基とは、魔を祓う霊的組織としての羽賀退魔社・羽賀神道宗師である。

彼は防衛庁にもコネクションを持っており、その特務機関を自らの一存にて動かすことが
出来るほどの隠然たる権力を持つ男であった。

そのうえ狡猾で抜け目がなく、しかも暗殺を得意とするなど――

仮に羽賀透基本人だけを評価の対象とした場合でも、強靭かつ極めて危険な存在である。

また退魔師としての羽賀一族は、覗師の力を持っているものが多い。

覗師とは可能性の高い未来を“視る”ことができる能力の持ち主。

つまりは平たく言えば、一種の予知能力に近いものだ。

一方ではその力の故に彼本人、つまり羽賀透基をより一層に扱い難いものとしていた。

そのような羽賀が静観しているのは、果たしてどのような次第であるのか。

もちろん未来を“視た”うえで――

彼らにとって最適なタイミングをうかがっている可能性もある。

それとも、羽賀が動いても事態は変わらないということだろうか。

あるいは彼ら自体が、この絵を描いているのか。

いずれにしても、もう少し情報が欲しい。

このようにマクマは目の前の清花を気遣いながらも、同時に今後の動き方について様々に
思いを巡らせていたのであった。

そのような一方で。

「・・・しかし、それにしても痩せすぎじゃない?……食事とかは?」

やはり彼女の貧相極まる体型は、別な意味でマクマの興味を惹きつけてはいた。

彼がそのように訊ねると、清花は僅かに首を傾けて応える。

「はい。一日三食ちゃんと食べてるんですけど……これも、体質なんでしょうか?」

「ふぅん。そんなものかねぇ……」

マクマはなんとなく、得心をしない様子で返事をする。

一方では、澪や流のことを気に病んでいる清花のことだ。

そのために或いは食が進んでいないとしても、それ自体無理からぬことであろうとも考え
てはいたのだった。

それから一週間ほど過ぎた、ある夜のこと。

荘重な雰囲気すら漂う、所謂高級バーの一角。

一組の男女が、その一席において密会を果たしていた。

「いつも、助かります――」 言葉少なに、女から USB メモリーを受け取った男。

その声は、どこか不思議な調子を帯びていた。

それは、聞くものにある種の感情を呼び起こさせる――。

自らを大和と名乗るこの男こそは、紛れもなくナイトメアとしてのマクマ本人であった。

先に触れたように、彼はその姿を相手の特性や好みに合わせて細かく変化させているのだ。

一方の女の名は、御堂レイカ。

警察庁の外郭団体である、被害者心理研究所の上席分析官である。

同時にそのお堅い肩書とは裏腹に性には奔放で、豊満な肉体を持つグラマラス美女だ。

そのため淫魔としての彼はこれまでもその本領を発揮し、その気になれば催眠音声の活用
によって比較的容易にレイカを抱くことに成功していた。

そのうえレイカにとって性行為とは、すなわち遊びの一種であり――

そこには別に愛などなくとも構わない、というスタンスの持ち主でもあったからだ。

また彼女から寝物語に聞いた話では、かつては童貞喰いをも趣味としていたらしい。

このような背景などから結果としてマクマは都合三回ほど、レイカの子宮に自らの烙印を
刻んでいる状態にある。

ところが今回だけは、いつもと違って精神的なガードが堅い。

険を感じさせない余裕綽々とした笑みは普段どおりだが、なぜか普通に靡かない。

「………」 彼の催眠に欠かせない、ある程度の信頼関係は既に得ている。

そのうえ不完全ではあるものの、刻まれた烙印を以てしても効果が鈍いのは何故か。

つまり今のレイカには、それだけの何かがあるということなのだろう。

おそらくは(マクマ以外の)男がいる。

そのことを察したマクマは、この場面での深追いをやめた。

彼としても人の世に生きる名うての淫魔である以上、その機微には敏感なのだ。

実際のところレイカには拓哉と言う恋人未満、友達以上の男が出来ていた。

つまりは、その男に対して操を立てていたのであろう。

尤もそのような獲物であればこそ、むしろ奪い取ってやりたい。

今はしかし、渡された USB メモリーの中身の方が気になっている。

「レイカ、今回もありがとう。本当はもっとゆっくり話などしたいのだが、早速こちらも
確認をしたい。――今宵もお美しい貴女とお会いできて、実に愉しかったよ」

「ふふっ、そうね。あと他にもいくつか、サービスで入れておいたわ」

ひとまず彼はその声に催眠を込めたままで、レイカに挨拶を済ませる。

つまりは次回への仕込みを行いながら、その場は散会となった。

背に次こそはとの思いを滲ませながら、マクマの姿は夜の闇へ吸い込まれるように消えて
いった。

かくしてマクマはレイカより、先の調査結果を受け取った。

早速内容について確認をすべく PC を起動、件の USB メモリーを取り出す。

その規格は USB2.0 の 64 メガバイト。

現時点においていまだ市場には出回っていないものだが、そのあたりは流石にレイカと
いったところだろう。

扨、その中身つまり調査結果については以下にそのままを記載する。

ついては各位のご参考ともされたい。

*****

■御巫涼皇(かんなぎ・りょうこ)

神招姫の総代代理。伯王神招姫・御巫家長女。赤の巫女。
緋袴。犬歯が凄い。わんぱく小僧めいた太目の眉。
二重の瞼。切れ長の吊り目。
紅殻色の瞳。心持ち尖った顎。
所謂キツネ顔の和風美人。
態度や仕草は男のそれに近い。
普段は子供の姿。
成人時は 170cm 以上の長身。姫カットの大和撫子。
薫り立つような黒髪を、膝の裏まで伸ばしている。
後ろ髪も前髪も横一文字に切りそろえている。
抜群のプロポーション。
女としての経験を示す余裕と「たるみ」少々あり。
瑞々しさと成熟の端境期にあるような、艶。
伯王神招姫を拝する巫女のひとり。
勾玉神楽の細女(うずめ)。
巫女は、巫力と呪力の二つを使い祓行する。
涼皇は巫力に比して、呪力が乏しい。
自ら御しきれないほどアンバランスな、力。
ただ居るのみでも巻き込むゆえか、周囲に人を置かない。
ただし成長の後は、ある程度制御できている模様。
普段の子供の姿は、巫力のバランスを取るためと推察。
息吹法により大人の姿に戻るが、滅多にはしない。
◎成人時における御巫涼皇の肉体的特徴:
乳がデカい(Hカップ前後?)、いわゆる爆乳。
鍛えているが、重さのせいかやや垂れ気味。
縦に長い、楕円形の乳輪(スプーン?)。
臀部はやや下膨れ気味、日本人的。
(※子供の姿では標準的体型)
祓いには、鏡を持ち入る。
宙に浮かせたコーヒー皿ほどの、8 枚の青銅鏡(複雑怪奇な模様が刻まれている)。
祓いは御巫流呪鏡法(かんなぎりゅう・じゅきょうほう)。
*****
ここで資料からは一旦外れ、より良い理解のため件の御巫流呪鏡法――
及びそれが拠って立つ基礎認識について、以下に触れ置く。
万物を司る絶対律は、即ち反射。
天照大神、すべてを照らす“御柱”様――。
その御許にて育まれしものは、相対をせし「呪」を穿つ。
反・呪・照・祓行と鏡によって、根源の反射を為す。
為した反射は存在そのものを成り立たせ、「呪」に威を振るう。
――森羅万象、すべては無限の連鎖。
存在の有無を決めるは畢竟、即ち反射の有無である。
その反射を有無を決めるのも、これまた別の反射なのである。
存在とはすなわち、いずれも反射の成果物。
つまりは、無限に重ねられた反射そのものである。
あらゆる反射の根源は、謂わば陽光に対するそれであり――
つまり、天照大神に対しての振る舞いとなる。
女神の迸らせる呪威を、どのように反射するか。
すべては、ここに収斂されていく。
陽光の反射具合を歪められれば、そのものは存在すら消されてしまう。
鏡の反射する光、其が力もて荒魂を和魂に変えん。
それこそが、御巫流呪鏡法の根源たる真理である――。
鏡が放つ反射光は、相当に乱暴な喩えをすれば超々束レーザーのようなものだ。
8 枚 の 鏡 からそれ ぞ れ 発 される、つまり合 計 8 本の 輝 き。
それは強力な呪威を用いてその対象物を分子結合レベルから破壊してしまうという、実に
恐るべき呪法である。
他方、いわゆる神道筋の術系本義――
即ち精の循環を円滑ならしめるという見地からすれば、精そのものをも消滅させてしまう
呪鏡法は確かに低能と評価されるべき呪術である。
しかしその威力だけを見れば、文句なしに最強そのものである。
一方では戦う、あるいは祓う目的のいずれにせよ。
その光が当たった場所を例外なく消滅させてしまうという致命的かつ、恐ろしく大雑把な
ものであることもまた事実なのだ。
そのため、周囲への影響をいっさい無視した形において。
つまりは本気で呪鏡法を用いたならば――
結果として、大惨事は免れないということになる。
それほどまでに、循環を無にする力。
その圧倒的な精(エネルギー)こそが、巫力なのだ。
ため込んだ巫力は、いわば噴き出しそうほどの精。
本来であれば鏡の操作を通じて昂ぶりすぎた精を放ち、その平衡を保たなくてはいけない。
あるいは精を放つ方法として、もっとも簡単なのは性交をすることである。
他方では万が一、この精のコントロールが出来なければどのようになるか。
その許容限度内つまり必要とされている状態においては、女体の全身それこそ隅々にまで
精が流れていく。
これ自体は、和魂の活性化へと繋がる好ましいものだ。
ところが女体に浸透してもなお溢れ出てしまうほどの精を受けると、それは和魂ではなく
荒魂へと変化する。
つまりは情欲としての昂ぶりを、その外部へと齎していく。
そのような前提において術を振るう際、鏡遣いは精の過剰状態を経ることとなり――
また同時に、その際には余分な精を他者へと分け与える。
鏡(もしくは瓔珞)を首に下げて歩く巫女が中世において遊女的な振る舞いを見せていた
のも、このような呪術的背景があった。
こうして精を分け与えられた男たちは、心身ともに高揚を覚えていく。
故に心服し、巫女に臣従していくことにもなった。
以上の必要十分条件において結ばれた呪従関係も、神招姫が権を誇っていた理由のひとつ
ではあった。
ただ一点のみ補足をすると精を分かつ形態は性行為、つまりセックスではない。
巫女の場合においては性行為における結合器は同時に循環路でもある。
つまり、それらを戯れさせることは出来なかった。
鏡遣いの交歓では、性器以外の部位で慈しみあうのが常ということになる。
強すぎる鏡遣いである涼皇は、もっとも精を招ける巫女。
ゆえに涼皇は、その豊饒さに見合う性感を既に開花せしめていたとも言える。

「ふむ。確かにレイカの調査どおりというわけですか」

添付されている涼皇の成人時、つまりは大人版の写真を見ながらマクマは感心したような
呟きを述べていた。

言うなれば野性味あふれる美しさと、服の上からでもわかる官能的な肉体が素晴らしい。

そういった点においては、件の鷹城八雲にも似た美しさがあった。

しかしは涼皇のほうが、いうなれば大人の余裕のある官能美と成熟さでは上である。

いつしかマクマは自然と下瞼を僅かに狭めて、その写真を眺めていた。

この女を、モノにしたい。

彼はきっと、そのように考えていたことだろう。

とは言いながら、彼は涼皇のことを以前から知ってはいた。

ところが手を出さない、否――

出せなかったのには、それなりの理由がある。

例えば鷹城八雲はその外見、つまりグラマラスボディによって周囲から注目を集めていた
ことで自意識過剰になっていた。

そのうえ自己の性格から、相当な負けず嫌いになっていたこと。

表面上は無関心を装いながら実の心裡においては本人は勿論、他人をも意識し過ぎた故に
歪みがあった。

歪みや弱みは、魔の付け入る隙を生む。

そのために催眠を仕掛けられたが、涼皇にはそれがなかったからである。

つまり涼皇の精神には、そう言った弱みが全く感じられない。

むしろ成熟しており、他者と自分の違いを受け入れる余裕があった。

ゆえに自己をしっかりと確立しており、そもそも下級淫魔に過ぎないマクマでは揺るがす
ことすらままならない。

つまり彼最大の武器である催眠能力とは、絶望的なほどに相性が悪いのだ。

同時に性奴隷である鷹城八雲からは催眠によっても、涼皇に関する話を聞いていた。

その八雲が鬼哭丸を拝刀(刀婚)するさいの媒酌人が、この涼皇だったとのこと。

彼女本人より語られた情報によれば、これまで八雲が見てきた中では最も強い存在である
と感じられたようである。

ついでに胸の大きさにおいても互角、あるいは後塵を拝する思いを抱いたという話も聞い
てはいた。

いずれにせよ獲物として最高の存在であるのは議論の余地もないが、同時にその突出した
戦闘能力が最大のネックとなっていたのである。

そのため、これまでマクマは彼女を獲物としては認識していなかった。

それは次のように漏らされた、彼の呟きを拾ってもわかる。

「あれには勝てるはずもないと、これまではそう思っていましたが――どうやら私にも、
些かばかりの幸運が巡ってきたようですね」

その言葉の中には、間違いなく彼の歓びが込められていた。

つまりは澪を廻る一連の動きのなかで、その隙を作ることができたなら。

あるいは無理だと諦めていた御巫涼皇を、己のモノにできるかもしれないからだ。
「ふふふ……もし、そうなれば――どんなにか素晴らしいことでしょう!!」 あらためて、写真の中の涼皇と目を合わせてみる。

その表情からは気概はもちろん、芯の強さが滲み出してくる。

そのうえ八雲と同等以上のグラマラスボディをも併せ持つ、いわば最強の巫女。

仮に支配は叶わずとも、うまく懐柔することが実現できたなら。

それこそはマクマの目論む、雌の完全な支配化――

つまり、烙印を刻む助けにもなるはずだからである。

彼はひとり満足そうな笑みを浮かべ、再び資料へと目を通していく。

*****
■御巫波音(かんなぎ・なみね)
伯王神招姫・御巫家三女。剣遣いの巫女。
青の巫女。
剣遣いの巫女は、その操を重視せられる定め。
抑々剣の遣い手は術筋としても、最も求められるもの。
為に性から遠ざけられている面があり、異性と手を繋いだこともない。
自慰の経験さえもなく、性行為に至っては論外。
(※剣道部の合宿時に、親友の体験談を耳にした程度)
自分には経験ができない故の、憧れにも似た感情。
オ゙シャレが好きで、実は勝負下着などにも関心がある。
ゆえか、下着は派手目なものを好む傾向。
自称ダイナマイト=バディ。実際は胸や尻は控えめなサイズ。
ただ足は長く、腰の高さも箆棒なもの。
自らの精の純粋性を高め、それを巫能とする剣遣い。
太陽のように明るく、周りを照らす存在。
ニトロ電波やマイナスイオ゙ンが出ていると、本気で勘違いをされるほど。
神薙家・神薙ヤヨイは波音の呪精体であり、信頼関係が強い。

*****
とりあえずそこまでを読み進めたマクマだが、一旦その手を止めていた。

「ふふ。確かに元気なお嬢さんのようだ。この写真からだけでも、充分に伝わりますね」

マクマもさっそく、彼女の魅力にあてられたのであろうか。

添えられた写真の中で快活な笑顔を見せる彼女の様子に目をやりながら、彼もまた素直な
笑みを浮かべていた。

そのような波音ならば、間違いなく姉を助けに行くことだろう。

また彼女が行動を起こすとなれば、周囲のものも助力をしたくなるに違いない。

「明るく可愛らしいお嬢さんではありますが――とりあえずは、お近づきになれる程度を
考えておきましょう」

とはいえ些か彼のタイプとは異なるからか、涼皇のようにモノにしたいとは考えていない
ようでもある。

ただやはり清花同様に、保護欲のようなものは感じていたようだ。

「さて。いよいよ流さんお気に入りの彼女の番ですか――」
マクマは一言そう呟くと、更に資料を読み進めていく。

*****
■御巫澪(かんなぎ・みお)
伯王神招姫・御巫家次女。
黄の巫女。
勾玉神楽の細女(うずめ)。
澪は巫力は劣るものの、呪力には優れている。
故に他者との精の遣り取りによって、その不足を補う。
山岳修験者・藤木流とも、交流がある。
*****
なお涼皇および澪に共通する勾玉神楽とは何かについてを、ここに下掲する。
万物を貫く絶対律・・・それは律動(リズム)である。
天照大神、昇られては沈まれる御柱様。
その御許にて育まれしものは、周期と言う名の「呪」を穿たれている。
巫術は息吹法に合わせた祓詞。
祓魔の鈴を勾玉に代えての神楽。
まさに、律動を操るもの。
息・音・声。
そして祓詞と勾玉にて、根源の律動を存在そのものとして成り立たせ――
呪に威を振るう、御巫流勾玉神楽。
神楽を基盤とし、太古の勾玉信仰と大陸の五行思想を取り交ぜた戦後生まれの新払行。
国家神道は、敗戦後に権威失墜し廃れた。
その大なる国家神道に隠れていた異端は、それが回帰すべき原点とされた。
澪の属する神楽衆も回帰を是とし、御巫宗家の生まれながら澪も諸法を学び歩いた。
澪の場合巫力が劣るため、貞操を守り蓄える聖浄よりも交媾(性交)して譲り受けられる
呪能を重視するに至った。
つまり、交媾自体は穢れには繋がらない。
肉体はあくまで容れ物であり、それがどれだけ侵攻されようとも是無障。
問題は、魂の乱れのみである。
扨、以下資料に戻る。
***** 但し感じている姿は見せたがらない、弱い部分を見せたくない性格。
こしのある長い黒髪。口調は敬語が基本の大和撫子。
近所でお嫁さんにしたいナンバーワン(※妹の波音による任意調査結果・原文ママ)。
人に弱みを見せない、知らないと言えない直向きな性格。
つねづね過去を振り返りその是非を問う、真面目な性質。
舞の際などは過度の練習のため疲労骨折しても、そのまま続けるほどに忍耐強い。
先祖を敬い感謝を忘れず、一日を始めるほど。

*****
「・・・と、これは――いやはや真面目ですねえ。それも莫迦が付くほどの……もっとも、
そういう人物を私は他にも知っていますがね」

おそらくは、かつての流のことを指しているのであろう。

マクマは半ば、呆れたような調子で独り言ちた。

「流さんのことだ、あるいは自分を重ねてでもいるのでしょうか。だからこそ、助けたい
と……?果たして、それだけなのでしょうかねぇ。……まあ、そのうち分かることもある
でしょう」

彼は思考を切り替えるように呟くと、あらためて資料の続きをなぞっていく。

*****
■榊製薬総合研究所
戦前から続く医産複合体(メディカル=インダストリアル=コンプレックス)
以下、「榊総研」と記載。
榊総研は神威と手を組み、内部で何か実験をしている(※詳細は不明)。
榊総研はそもそも戦前、戦中とかつては神招姫の共犯者。
(現在は、有力な氏子のひとつ) もともと巫術者と医薬師は地続きであり、その繋がりは近代に入ってからも続いていた。
創業者たる榊家は名が示す通り、伯王筋に榊を献上する御役を継いだ一族。
「野巫医者」(やぶいしゃ)が造語されたころから呪能よりも薬効に目を向け、明治の御
一新を機に商売替え。
やがて神衹院が力を持つにいたり、政教両面に跨る複雑な権力マンダラが現出した際には
呪闘集団たる伯王神招姫と結んだ。
戦中は御巫家が執る儀式の物資調達、特に人体を担当。
戦後は、甲凪寄りへと立ち位置を変化させていった。
甲凪家寄りになったのは、御巫家のほうが疎むようになったため(※理由は不明)。
伯王筋神招姫の当主である八幡神威と協力しているが、その実態は不明。
(甲凪家当主である甲凪美冬も当該実験計画に参加。同じく強制或いは積極的に関与して
いるかは不明。)
表向き現在は、人工知能を搭載したプログラムを作っている。
自ら構造を複雑化させることができ、操作者に「心」があるかのように反応を示すもの。
これを利用して引き籠りのリハビリや各種介護など、主に心理ケアを担当するロボットの
開発計画が進行中である。

■百姫計画
榊総研と神威の計画の詳細は不明。
ただし、百姫計画なる単語の使用が判明。
おそらくは今回の計画名と推測。

***** 
「うーむ……この時点ではどうも、いま一つ良くわかりませんねぇ」

マクマは思わず腕組みをすると視線を一旦外し、その背を椅子に預けた。

確かに一つひとつの情報は、それなりに評価ができるものが多い。

ただ情報量が多い一方ではそれ自体が未だに点の集合体であり、線としての繋がりや面と
しての全体像を描けないということだろう。

「………」

一方で資料には、他にも様々な記載がある。

彼はそれらを読み進めていくことで、幾つかの傾向を掴むことができた。

それはまず一般人や神招姫を含め、霊力・巫能が強い女性が多く行方不明になっていると
いう点である。

同時にこれらの現象には、とある“妖僧”が関わっているらしいのだ。

*****
■南方弘真(みなかた・こうしん)
50 代男性。一人暮らし。家族無し。親戚なし。
元文化財監査官。諏訪地方の発掘調査の視察後に突然真言密教として出家した。
茶吉尼天(仏教の鬼神で密教では胎蔵界曼陀羅、外院にあっては大黒天に所属する神。
自在の通力を以て 6 か月前に人の死を識り、その心臓を食うといわれる)の招来を願って
いる。
大量の女性を茶吉尼天の供物に牝婢(はしため)調教している。
一般人・術者含め濃厚な精を搾り取り急成長している。

*****
「はて、このような人物がですか……?」

資料とともに載せられている写真を見れば、いかにも冴えない中年男性そのものだ。

ただし真面目そうな雰囲気ではあり、拉致監禁凌辱といった明らかなる犯罪行為――
いわば大胆不敵の行動を取るような犯人とは、到底思えない。

それゆえにマクマが首を傾げたのも、ある意味では当然とも言えた。

それ以上に謎なのは、その立ち位置である。

一見して個の存在であっても、裏で通じていることは少なくないからだ。

その論点においては、この南方弘真が神威と近しい間柄である可能性も考えられる。

ところがその関係性については、即座に否定をされた。

「なんと……神威も敗れたというのですか?この、南方という男に――」

資料の続きには、マクマが驚きを漏らしたとおりの内容が記されていた。

そして敗北した八幡神威はその結果、現在行方不明になっているとのことだ。

ただし公にはなっておらず、そのため伯王筋神社にも知られてはいない。

関連として記された資料を追っていくと、その神威の為人などもわかってくる。

*****
■八幡神威(やはた・かむい) 年齢不明。20 代後半の容姿。
大柄な体格。胸の盛り上がりがなければ性別不詳にも見える。
神威は伯王神招姫が頭女。
百姫計画の首謀者と目される。
1 人という、人としての数えられ 方 が 適 当か 否 か。
寧ろ 1 柱という神の数え方が合う、というものもいる。
圧倒的な力の持ち主。単騎で神道界を震え上がらせる。
神器省の通常 10 年は要する、修行および火床入り後の嫁入り(刀婚)を 1 週間で完遂。
(神器省で歴代 1 位)。
恐らくその際に刀婚した相手は、菊御作の野太刀。
よほどの巨漢でも扱いに困りそうな、物干し竿級の野太刀。
巫女界に顕われし女信長・ヒトのフリを為す氷河と呼ぶものも多い。

*****
「はは、は・・・なんですか、これは。――まるで、ひどい。滅茶苦茶だ・・・」

マクマはそこまでを読みながら、呆れたような様子で呟いた。

脱力感すら、多分に含まれる様相。

彼はそれでも、資料を目では追っていた。

その動きが完全に止まったのは、次の一文を目にしたときであった。

聖護連合(ユナイテッド=ホーリーズ)の中でも、実力は 1 位――。

以前にも述べたとおり、聖護連合とはいわば国際レベルの組織。

つまり、実質的な世界連合というべき存在である。

その中で最高位に属する神威はつまり、世界最強。

「まさか、ここまでとは。確かに、呼び捨てにするのは些か憚られますねぇ・・・」

彼の呟きからは、その強さがまさに想像以上であったことがわかる。

なにしろ、彼自身が件の聖護連合とは浅からぬ因縁があるからだ。

かつてマクマは連合に所属するアメリカ代表の退魔師の一人、ミア・キャボットに惨敗。

そのうえ消滅させられかけたという、暗い過去を持っている。

一方では彼の日中でも行動可能という他の魔族にはない側面を評価され、命だけは赦され
てはいた。

それ以来は銭ゲバであるミアに絶対服従となり、稼いだ日銭はほぼ全てを上納という形で
搾取されている。

いわば体のいい奴隷が、彼マクマのいま置かれている状況なのだ。

「うううっ、思い出しただけでも身の毛のよだつ――しかしこの情報どおりなら、神威が
負けるとは到底信じられないが……?」

マクマの溜息交じりの疑問は、確かにそのとおりである。

しかも情報によれば、神威が行方不明となったのは約 1 年前。

つまり今よりは明らかに弱い南方に負けたという構図自体が、彼の脳裏に違和感を齎して
いたのだ。

「……となれば、これは明らかに事実でないか――あるいは極めて、作為的なもののよう
ですねえ」

マクマは頭の後ろで軽く指を組みながら、そのように考えを纏めた。

彼がそのような結論に至ったのは、それだけの根拠があるからだろう。

「例えば神威が、その“百姫計画”とやらに専心するため身を隠す必要があったとか――
無論、わざと負けを装った可能性もありますが……?」

しかし一方では神威の名の示すとおり、その神懸かった実力があれば抑々小細工を弄する
必要があるだろうか。

要するに、その気になりさえすれば。

例えどのような計画であっても、じっさい彼女だけで実現ができてしまうのではないか。

彼の濁した言葉尻が、そのような疑問を窺わせる。

確かに神格級の存在なのであれば、抑々仲間など不要である。

寧ろ意識外で下手に動くものが居れば、却って邪魔になるのみだ。

つまりは持てるその力で、ただ相手を蹂躙し捩じ伏せれば良い。

「………」

そのことは、この資料を見ても分かる。

政府機関である神器省、警察庁および自衛軍の何れもが、実質的には神威に畏怖する形で
協力を余儀なくされているように映るからだ。

そのうえ伯王神招姫そのものが、人並外れた強さを持っていること。

力を含めて実際に彼がその姿を目にしたのは件の御巫澪のみに留まるが、確かに強いもの
ではあった。

あれだけの勾玉遣いは、もう日本にはいないかもしれない。

「……そこが妙なのですよねぇ。神威本人も、お仲間の伯王神招姫たちも滅法にお強い。
となれば態々、南方弘真などと協力する必要性もない。そのうえ一般人だけなら兎も角、
お身内でもある神招姫までをも、抑々怪僧の生贄になどしますかね?」

確かに言われてみれば、マクマの抱く疑問は正論そのものだ。

そもそも神威は、途方もなく強い。

くわえて国家権力にまで影響を及ぼせるというのに、このうえ何を考えているのか。

言語明瞭意味不明を地で行く、状況。

となれば彼でなくとも、百姫計画の詳細が気になって仕方がないところではあろう。

資料によれば、榊総研のどこかで百姫計画なるものが進んでいるのは事実のようだ。

また渦中の人物、御巫澪も現在はここにいる可能性が高いとのこと。

攫われたものは例外なく南方弘真によって調教をされ、その精を搾り取られている。

そうであれば澪もまた、滅茶苦茶にされている可能性を否定できない――

どころか寧ろ、そうなっていない筈が無い。

同時にそれは榊総研と神威、そして南方弘真との間において明らかに一定の関係性が存在
することを意味している。

そのうえ昨日からは澪に続いて、呪妹(※呪姉妹・妹)の波音も行方不明であるらしい。

「ただでさえ強い神招姫が、それも二人がともに攫われた。もし、そうであるならば――
やはり同じ場所にいると、考えるべきでしょうね……」

マクマは二人の写真を交互に見やりながら、一先ずの推測を纏めた。

しかし問題はここからで、仮に呪姉妹の居場所が判明したとする。

ところが大した戦闘能力を持たない彼が二人を救出するなどということは到底無理な話で
あって、良くて状況の確認ができる程度であるからだ。

但しそのことは、彼自身が最も良く分かっている。

「とはいえ私が潜入したところで、救出は無理でしょうねぇ……仕方ない、ここはやはり
愛弟子の流さんに任せる他はなさそうですね。寧ろ私が考えねばならないのは、その後の
ことですが・・・何れにしても、レイカには感謝をしておかねばね――」

確かにレイカは被害者心理研究所の上席分析官にして、捜査のプロフェッショナルである
ことには違いない。

その能力は優秀ではあるものの、一方では何の霊力も巫能もないレイカがここまで調査を
実行できたのは感歎をすべきことだ。

これにはやはり彼の催眠によるものと、子宮に刻まれた烙印の効果とを認めざるを得ない。

尤も先に触れたとおり、たった 3 回程度の放精では中途半端ではあるものの――
その感情は恋人には程遠いとしても、親友あるいは友人に近いものを抱いているであろう
点は疑いがない。

そして資料には、ほかにも続きがある。

その多くがレイカのサービス精神その他によって付けられたであろうと思われる一方で、
マクマは関係のありそうな人物を目に留めた。

*****
■自衛軍 葛城太郎(かつらぎ・たろう)
48 歳。
階級は中将。
紅薙姫のひとり鷹城八雲の、嘗て所属した A 駐屯地の元司令官。

***** 
「ふむ……」

ひとまず写真を見れば、まさにお手本のような敬礼をした軍服姿の男。

どうやら若かりし頃のもののようで、35歳当時と書かれてある。

なおマクマが八雲から聞いた話では自衛軍時代、唯一彼女を性的に見なかった存在という
ことらしい。

そのため八雲は葛城に対し、今でも尊敬の念を抱いているようだ。

「ほほう・・・残念でしたねぇ、八雲――」

ところが現実は、似て非なるものであった。

資料によれば既に不倫をしており、その上かなりの年下が相手であるようだ。

良く言えばスレンダーな体型が好み、悪く言えば相当のロリコンという結論に辿り着く。

要するにグラマラスな八雲を性的対象としなかったのは彼の人格や良識故ではなく、単に
彼の守備範囲外であったことが窺われる。

先程マクマが面白がって呟いたのは、恐らくその所以だろう。

もちろん八雲に関するページもあったが、一先ずここでは割愛する。

彼は続けて資料を見ていく中、ふとその指を止めた。

「――おや、珍しい。先ほど話が出たばかりですが・・・」

少しだけ驚いた様子の彼は言いながら、僅かに相好を崩して読み進める。

***** 
■田中華(たなか・はな)
22 歳、身長 139cm。最終学歴は中卒。
ほぼ肉体に凹凸がない、見事なまでの平板体型。
美容手術で、膣内部に人口的に襞を増設。
さらにヨガ、フィットネスで骨盤底筋を意図的に強化。
(※そのため、締りが凄まじい)
大陰唇、小陰唇の再形成手術。
そのうえ酷使によって変化した性器の脱色素手術をしている。
一流の娼婦。
演技も上手く、子供らしい仕草も完璧。
その見た目は 12 歳ほどで、性風俗業により大量の稼ぎをあげている。
(※本人曰く以下の理由にて、あと二年ほどで引退を希望)
ロリコンで売るには、肌の艶や皺にも気を使う。
(あらゆる化粧品の使用やパック、エステ、ボトックス注射など)
相手に 12 歳程度に見せる限界が、それであるとのこと。
猶その後については、年齢不相応な体型など故に転職は考えていないという。
今更地味に働く気もせず、タイム・リミットまでは蓄財に専念する予定。

*****
写真の中ではどう見ても、年の頃 11 か 12 歳前後にしか見えない少女。

どうも撮られることが苦手らしく、ただ俯きがちにはにかんでいる。

彼女を全く知らないものが見たならば、蓋し穢れのないそれだ。

ところが、これら全てが演技であり――

その実態も中卒の 22 歳であると考えれば、逞しさしか伝わってこない。

「やれやれ、何とも・・・まあ最終的には、私の役に立ってもらえれば良いですが」 

彼女に関する補足としてはレイカ自身の調査ではなく、相棒である拓哉のインタビューに
基づくものであるらしい。

もっとも情報の裏取りに関しては、伝聞ないし実体験かなどは定かでない。

なお九龍城の主である九龍勇に気があり、ファンを自称しているそうだ。

「ほほう、あの男が好きとは・・・あるいはそれも、利用できそうですね――」

マクマは意味ありげな笑みを浮かべて、さらに資料を辿っていく。

画面右端のスクロール・バーを見れば、既に残りも少ない。

長かった調査報告書にも漸く終わりが近づいていた、そのときである。

「!!!」

彼はまるで厭なものを目にしたように眉を顰めると、身体を引いてやや硬直を始めた。

なにしろ其処には、彼の天敵であるミアの名があったからである。

*****
■ミア・キャボット
23 歳。
身長 176cm。(※極めて長い脚が特徴)
スリーサイズは上から 98、64、93。
アメリカ在住のエクソシスト。
無類の馬好きであり、乗馬が趣味。
ゆえか自身も、時折ポニーテールにする。
実家はカーボンの世界的大企業である某社。
その活動分野はスポーツネットから飛行機のプロペラをはじめ宇宙エレベーター構想など
実に多岐多彩なものである。
派手好きな側面があり、また情報発信も巧みなために自身のプロフィールや日々の出来事
などを発信しており支持者も多数。
目立ちたがりな本人の気質もあるが、同性のためにも活躍する姿を見せたい思いが根本に
ある。
日本の神器省とも繋がりがある聖護連合(ユナイテッド=ホーリーズ)アメリカの代表の
一人。
◎アメリカ合衆国における特殊事情:
アメリカは所謂キリスト教圏であり、カトリックとプロテスタントに分類される。
前者には司祭及びエクソシスト、後者には牧師がいる(※エクソシストについては公式に
認めていない)。
一方他民族国家であることから、その他様々な教義宗派は並存する。
*****
ここからは、本資料によって知り得た事柄を纏め記述していく。
アメリカ合衆国という名称つまりUnited States of Americaには連合の意を含み、その代表
者は4名。
うちミアはプロテスタント代表ではあるものの、牧師ではなくエクソシストである。
前述のようにその存在を、公式に認められてはおらない。
然は然り乍ら代表者ではあるという、複雑な立ち位置にあった。
ただしその能力については随一で、資質としては相応しい。
プロテスタント系のエクソシスト・魔滅の代表。
魔滅の殲滅部隊・通称“魔狩”は合計7隊。
彼女はそのCOO(Chief Operating Officer)、つまり最高執行責任者である。
一方では、自由に生きてもいる。
謂わば女性の強さと自由の象徴、彼の国の女神像をも思わせる。
自ら矢面に立つ彼女の姿勢は、日本の神器省とは趣を異にするものだ。
故に世界の表裏を問わず、極めて著名な人物。
併せて名を轟かせるものは、その得物である腰の鞭。
元々はフラッゲルムという、8 本編み込みの雌牛の皮を使った鞭である。
ブルウィップと称する一本鞭で、長さは約 120cm。
ただし実体としてはそうであるのみで、霊力を用いた効果範囲は最大 200cm 程度と広範な
間合いを持つ。
また過去においては、数多の黒人奴隷を苦しめたもの。
何一つ装飾のないそれは地味な一方、持ち手以外のほぼ全てが漆黒にぬめる血の証。
あらゆるものを哭き叫ばせ命乞いをさせた末、終には自ら殺してくれと言わしめたもの。
つまりは嘗て、黒人蔑視華やかなりし頃――
18 世紀半ば(西暦 1750 年前後)に活躍をみた鞭こそがそれである。
キリスト教系の白人たちは彼らの自然崇拝(アニミズム)や先祖崇拝のシャーマンを否定
した。
剰えそのようなものは居ないと嗤いながらシャーマンを拷問し、彼らが神聖視する仮面や
呪具を目の前で破壊した際にも使用をされた。
故に黒人奴隷たちの怨念が血を依代として呪詛を為し、約 250 年ほど時代を下った現代に
おいても消えることなく滲み付いているのだという。
猶この鞭の最大の特徴を一言すれば、あらゆるものに対処できる点だ。
つまり対魔(淫魔や悪魔など)、対障(幽霊・ポルターガイストなど)そして対人(銃や
刀を持つ人間、強靭な人間など)全てに適用が可能。
そのうえ元々が拷問用具であったため、その独特なる打擲音はなにより奴隷たちの恐怖と
怒りとを激しく呼び覚ましたのだ。
為にか音自体に呪力が籠められており、当たらずとも振うだけで被害を及ぼすという実に
恐ろしいものだ。
得物はもう一種、短尺無銘の日本刀。
例えて脇差しに近いものだが呪力を宿し、その名を刺刀(さすが)と称する。
近接護身用の短刀として常に携帯、中間にあっては主にブルウィップにて対処。
近間においては刺刀にて受け、再び距離を取る。
何れも彼女本人と並んで名高いものだが、実はハンドグローブも武器であることはあまり
知られていない。
一見しても何ら変哲のない、派手な赤色だけが印象を残すのみである。
ところがその実体は、世界に二つとないエクソシスト・グローブ。
これは、死んだ聖女の皮膚を聖水に 100 年の間漬けたものを抑々の生地としている。
熟練の職人が加工したうえで聖杯に入れ、祈りを込めた聖女の血で染めあげたもの。
謂わばレア・アイテムの最たる存在。
その加護によって身体能力は強化され、実体を持たないものにも触れることが可能である。
つまりはブルウィップ同様あらゆるものに対処ができるうえ、ミアの類い稀なる霊力とも
相まって鞭それ自体の呪詛による悪影響を回避できる。
なおキリスト教派におけるもう一名の代表者である、スティーヴン・イーサンにも一応は
触れておく。
彼はカトリックの聖座であり、教皇直属のエクソシストの代表である。
ところが仰々しい肩書きに比して実力は乏しいうえ、傲慢且つ長話を好み権限だけは強い
という最悪なものだ。
そのようなしかも男の説明を、長々としても仕方がないため早々に割愛する。
ゆえに連合とはいえ所詮は人間の集まりであり、夫々立場も異なることから言葉ほどには
頼もしいものではない。
つまりは結局、個々人に依拠するところも少なからず。
その様な論点においても彼女はネットを駆使して広報周知に努める傍ら、協力者を増やす
ためにも情報発信を行っている。
それらは当然国家に対する帰属意識の発露である一方、最近はミア自身がネットで注目を
集めることについても貪欲となりつつある。
ゆえにその反応を期待して自ら性的露出の高い、やや過激な画像を掲載することも屡々で
ある。
同時に彼女は“ビッグ・ジェネラル”という渾名をも持ち――
それは能力や権限のみならず乳や身長、くわえて尻から普段の態度まで、ありとあらゆる
ものが大きいという皮肉が込められている。
ただし本人は知りながら、全く気に留めていない模様。

「・・・そんなことはわかっていますよ。実に、厭すぎるほどにね。そんなことより私が
最も気に入らないのは、この“目”の部分だ……!!」

ここまで黙って読み進めていたマクマが、遂に苛つきを見せはじめる。

確かにその先は、彼女の特殊な眼力について解説されていた。

それは淫魔、つまりナイトメアである彼の変化(擬態)を見抜くことができるというもの。

これこそがマクマにとって、ミアが天敵である最大の理由。

そのうえ彼は特筆すべき戦闘能力を持たないことから、後は推して知るべし。

「あの殺されかけた時のことを忘れたのは、一日としてありませんでしたよ。もっとも、
幸運もあった――」

そう回想するマクマの言葉どおり、彼の催眠能力と子宮への烙印についてだけは手の内を
明かさずに済んでいたからである。

ゆえに相手がミアであっても、支配下に置ける可能性だけは残されていた。

そのことだけが、彼にとっては唯一の希望であったはずだ。

彼は一瞬だけ間を置くと、次なる項目へと目を移していく。

それは魔滅の殲滅部隊・通称“魔狩”に関するものだった。

魔狩の銃撃殲滅部隊、通称“SNAP”――
その構成員は、ほぼ全員が淫魔の犠牲になった家族である。
ミアは家族を殺したものを弑してくれる、いわば救世主だった。
故にミアへの信頼と、忠義心とは極めて強固。
淫魔に殺されたもの。
殺されずとも強姦され、挙句廃人となったもの――
それら家族の怒りは、当然にして凄まじいものだった。
為にSNAP に集積をみた篤志、つまり寄附金は日を追うごとに額を増していく。
つまりは結果として、その研究を支援していくことになる。
同時に、内訳は富裕層に限られない。
寧ろ貧しいものたちこそが魔の毒牙にかかることも多く、遺族が生活を犠牲として寄附を
行う事例も目立っていた。
そんな彼らの眸に宿るものは、凶信者のそれにも似ていた。
魔を殺せ。必ず。
必ず魔を殺せ。
悲痛と混沌の奥底で、淀んだ光なき眼差しがそう訴えているのだ。
肉親を喪ったものの恨みは、ここまで凄まじいものか。
その声なき叫びは百戦錬磨のミアにすら、ある種の恐怖を抱かせる。
この現代においてもやはり、魔を祓えるのは呪具と霊力と人の意志のみ。
巫女の所謂念装厚膜なども、人の念を纏える装具と化したもの。
つまりはその意思さえあれば、魔に抗することが可能となる。
ところが日本においては、そう言った方面での研究が全く進んでいない。
しかし、アメリカは違っていた。
彼らの母国語がまず始めに結論を述べる様に、強き意思は形を成し易い。
つまりは淫魔を憎む強固なる意思の力がまず政策としての具体的な形を伴い、その研究を
推し進めていったのである。
失ったものの痛みは凄まじい。
それは人たる倫理を盲いらせ、次第に狂気すら伴っていく。
彼らは捕らえた淫魔を、エクソシストたちの管理の下に実験対象としたのだ。
何が弱点か。
どのような攻撃が、より有効なのか。
それだけを目的に、ひたすら実験を繰り返していった。
その様は実に、正視に耐えないものであり――
もはや何方が魔であるかも判然としない日々が続いていく。
その結果として完成を見たのが、不可能と思われた退魔兵器の製造だったのだ。
こうして執念とも言える成果のひとつが、対淫魔用封印術である。
特筆すべきはその汎用性の高さであり例えば銃弾の場合、弾丸へ術式を刻むことによって
使用することができる。
とはいえ現段階において製造が可能な量は僅かであり、対象も殆どが下級淫魔に留まると
いう制約があった。
とはいえ試行錯誤の中で、それぞれ数発単位ではあるが中級あるいは上級淫魔にも有効で
あろう代物が完成をみていた。
より詳細には件の銃弾について少なくとも前者が 10 発、後者が 2 発とのことである。
それらは優先して統率者つまりリーダーが保有し、必要に応じて使用可能な状況にあると
考えられる。
この間、僅か3年。
開発に伴う犠牲者の数は、五千を優に上回る。
これには淫魔だけでなく、性能実験のため自ら進んで憑依を受けた人間(悪魔憑き)など
が寧ろ大多数を占めていた。
理不尽を許さない。
そして、正義を執行する。
その大義のもと、被害者家族は自分から率先して犠牲になった。
性奴隷になり解放された後も、何を話してもセックスして欲しいと叫ぶ娘や妻。
記憶を操れるニトロ電波でも直せないほどの、重症者。
淫魔という主人を求めて病院を抜け出し外でレイプされるか、何れ交通事故などによって
行方不明になる。
いずれ皆、最後は廃人になる。
過去の思い出を語り、どれだけ君が必要かを告げても。
その答えは、いつも同じだった。
生き残っても、結果は同じ。
ただ、精神的な死が待つのみ。
娘や妻を、無駄死にはさせない。
何が奴らの弱点か、徹底的に調べた。
その行為を、神の試練として捉える。
いかにもアメリカらしい、偽善的な正義のもと――
それでも試練の途中に死んだ者の骨を拾い、彼らは後に続いた。
このように悲愴な決意のもとで行われた、惨劇とも言うべき兵器開発実験。
しかし、その実力は本物だった。
いわば魔に対して些かの力も持ちえない、一般人でも扱える武器の完成。
なお聖護連合(ユナイテッド=ホーリーズ)の他の国々はそのような武器の存在には未だ
懐疑的であり、これらの成果については現状認識の外にある。
一方でアメリカが目標とするのは紛れもなく、これら退魔兵器の性能向上と大量生産化で
あることに疑いの余地はない。
それが意味するものは、一般人でも魔を討つことを可能とする未来。
つまりは人の信念が少なからぬ犠牲のもとで、具現化を果たしたのだ。
あくまで個の力に頼る日本、その他の国々とは異なる道を選んだと言えるだろう。

「・・・これは、我々淫魔にとって穏やかな事態ではありませんね。もし事実であれば、
あの国も棲みづらくなりますし――あるいはあの銭ゲバ女が、私をこの魔弾とやらで手に
かける可能性も、後々考えておかねばならぬやも・・・」

ミアによって、自分が殺される。

一度はそうなりかけた以上、これまでにもその可能性は当然にあった。
ただしそれはミア本人が直接現れて己の手を下すという前提条件のもとでの想定であり、
別途長距離狙撃が可能となれば話は別だ。

「やれやれ、また悩み事が増えてしまったな……」

漸く資料を読み終えた彼は目元を押さえながら、暫くそのままで俯いていた。

それから数日後のことである。

マクマは件のバーで、再びレイカと相対していた。

「先日はどうも。しかし、かなり詳しく調べてくれていましたね。正直言って、想定以上
でしたよ」

「まあ、それはね。貰うものはもらっているんだし――」

確かにその言葉通り、彼は今回も紙幣それ自体が束となり倒れないほどの金額を渡しては
いた。

ところが問題はその調査内容であって、警察庁でも機密扱いの情報が平然と含まれている
など、要するに行為自体が合法とは言い難い。

そのうえ国際的な、特にアメリカにおいての情報収集に関しては現地とのコネクションが
欠かせないはずだ。

当然に協力の見返りとして少なくない金銭を支払わねばならず、それだけレイカの出費が
増えることになる。

それが相当な額であろうことは、先の報告書を見てもわかる。

「とは言っても、貴女の手出しも多いことでしょう?幾ら割の良い仕事であったとしても、
普通はここまでしてくれないと思うのですがね・・・違いますか?」

「・・・調子に乗らないで。勘違いしすぎよ。」

つまりは、自分に気があるからだろう。

そう言いたげなマクマの言葉を、やんわりと打ち払うレイカ。

「まあ、それはさておくとして――実際のところ、本当に助かっていますよ。ありがとう、
レイカ――」

彼はそう言いながら、テーブルに置かれたレイカの手の上に自らも掌を重ねてゆく。

前回は軽く躱せたはずが、今回は何故か出来ない。

「相変わらずね。――恋人がいる、っていったでしょ?」

 レイカは断りを入れるが、その調子は決して強いものではない。

「操を立てている、というわけですね――意外ですね、あれだけ性に奔放な貴女が・・・
ふふ、どちらが上手いですか?」

マクマもまたやんわりと、レイカに問いかける。

僅かな隙間さえあれば、少しずつ彼女の内へと滲み入るような声だ。

そしてひとたび侵入を許せば、そのまま流されそうになる。

「貴方・・・なんて、私が言うと思った?――残念だけど、あんたのほうが下手くそよ」

「ふふっ」

マクマは特に気にした様子もなく、その横顔に余裕を漂わせていた。

一方では意味ありげな雰囲気を醸しながらも、それ以上に誘うことはしていない。

「・・・・・・」

あるいは流されてしまいそうだと感じていたからか、レイカは一先ず安堵の表情を見せて
いた。

しかし、その悩ましげな姿態と上澄みの残り香とが、過去に彼に抱かれた時の様相――
その逞しい腕や肉体、齎された快感などを想起していたとしても不思議ではなかった。

それ以降は何事もなく、二人はバーを後にした。

帰途の道すがら、ふとマクマに誘われるようにしてビルの隙間へと身を滑らせるレイカ。

「本当にありがとう。君の協力にはいつも感謝しているよ」

ふたり向き合ったそこで、彼はあらためて礼を告げると彼女を軽く抱きしめた。

それは厭らしさの欠片もない、ごく自然な親愛の情。

元々レイカは度胸のある一方で、母性本能が強い女性である。

ゆえに弱者や、困っているものを見捨てはしない。

そのため特に、性被害者のカウンセリングなども担当しているのだ。

ちなみに女性被害者の場合、彼女に対して直接感謝を述べたり手紙などによっても反応を
示してもらえるものの、男ではあまりいない。

ましてや言われた自分が格好いいと思えるような、好意を抱いている男などはほぼ皆無で
ある。

「この情報は大事なもので、日本――いや世界すらも救えるかもしれない。君の仕事には
本当に助けられるよ」

マクマは催眠を込めた声で、レイカの耳元へ丁寧に囁きかけた。

日頃飢えていた男からの謝意にくわえ、彼へも少なからず信頼を寄せている彼女のこと。

その催眠は、たちまち効能をあらわした。

「・・・!!!」

レイカの背筋には堪らないほどの充実感や満足感が、それこそ一気に突き抜けていく。

さらには心を震わせるほどの満ち足りた幸福感が一時に押し寄せ、レイカは半ば気をやり
そうにまでなっていた。

「それに、素晴らしいのは仕事だけじゃない。類稀なる美貌と、魅力的な肉体と――君と
こうして会うたびに、自分を押さえるのに必死なんだ」

「あぁ………」

言われながら、尻タブを優しく揉まれる。

そのまま強めの指先が尻穴を擦り、ノックし、小突いていく。

勝手にヒクつく、尻穴。

ただそれだけで、レイカの最奥は甘く疼いていた。

その催眠を込めた誉め言葉に、両胸の先端と淫裂とが微かに火照る。

脳は危険を感じ距離を取れと命令するが、その肉体は動けない。

「レイカ――これだけ調べてくれたのは確かに嬉しいが、あまり無茶はするなよ。例えば
件の南方弘真などに出会ってみろ。もしそうなれば、お前は絶対に犯されているはずだ。
――こんな肉体、絶対あいつの好物だからな・・・」

言いながら、優しく全身を撫でる。

その刺激が肉体に残った快感の残り火へと反応し、レイカはぞくりと身を震わせる。

続いては、頬へのソフトな口づけ。

擽るような感触に、レイカの口元からも甘い吐息が漏れていた。

また抱かれる。

既に流されかけている彼女はそう思ったが、意に反して握った手に齎されたのは件の USB
メモリーであった。

つまりはこれが次回の調査依頼、つまりは仕事内容の遣り取りに他ならない。

マクマはそれだけを手渡すと、レイカからそっと離れた。

「………」

もう少し、褒めて貰いたかった。
もっと、話したい。
・・・もう一回くらい、抱かれてもいい。

実際そのように考えていたレイカは、明らかに不満を残してはいたものの――

いまここで、そのことを認めるのも面白くない。

「そう・・・役に立てたならよかったわ。でも次は仕事だけよ。肉体関係はなし」 

レイカは無理矢理動揺を隠すと、受け取ったばかりの USB メモリーを大和(マクマ)に
見せながら足早に去っていく。

「まったく大和のやつ、ひとを馬鹿にして・・・ああ、もう!!今日は拓哉を呼び出して、
絶対にセックスしてやるんだから!!」

無論その道中では、火照りかけた身体を袖にされたレイカの恨み節が炸裂していた。

大和は聞こえていたのか、いないのか。

ただ肩をすくめて小さくなっていく彼女の背中に一言、ぽつりとこぼす。

「やれやれ、そう睨まないでほしいものだ。レイカさんの意志に反して、無理矢理にした
わけでもないでしょうに……」

いずれにせよ、愉快な時間は長くは続かない。

今度は、マクマ本人が仕事をする番でもあった。

榊総研への潜入という、彼なりの仕事をである。

*****

(別に、ゆっくりしてたわけじゃないんだがな・・・。)

マクマは車を運転しながら、そう思っていた。

あれから、主に擬態の能力により榊総研への潜入にはひとまず成功。

澪や波音の居場所を調べた、次の日のこと――。

なんと波音本人の痴態、つまりは性的な調教場面が全国の神棚ネットワーク(後述)にて
配信されたとの報を受けた彼は、さっそく動き始めていた。

なにしろ救出に向けては様々に策を練る必要があり、準備万端整いかけたところであった
からだ。

明日はいよいよ流を救出に向かわせようとした矢先の出来事で、まさに寝耳に水。

要するに彼としてはむしろ、急いでいたぐらいである。

それが冒頭の偽らざる所感であり、また行動の理由であった。

つまり事態は、彼が想定したより遥かに急展開を見せることとなったのだ。

「まさか向こうに、そんな隠し玉があるとはな・・・」

いずれにせよ、まずは事態を把握することだ。

そう考えた彼は連絡をくれた清花と一先ず合流をすることとし、白山神社に向かっていた
のであった。

ほどなく到着をしたところで予定どおり清花を拾い、再び車を走らせる。

「それで、その――場所はわかるかい?」

「……はい」

流石に浮かない表情の清花は、言葉少なである。

その間を埋める問いかけも、直に途切れてしまう。

「しかしその、何だ・・・よく、知らせてくれたね」

「いぇ……」

その横顔はやはり、どこか青ざめてしまっている。

普段の彼女とは似ても似つかぬ、悲痛なものを感じさせた。

マクマとしてもそのような清花をできるだけ気遣ってはやりたかったが、今の彼らに到底
そこまでの時間的余裕はなかった。

兎にも角にも、急がなくてはならない。

たとえ気まずくとも、敢えて波音について触れざるを得ないのだ。

「確か、同い年だったね・・・話したことはある?」

マクマは運転しながら問いかける。

正直、視線を彷徨わせる必要がないことだけは助かった。

淫魔である自分が、あるいは人が良いのかもと――そんなことも考える。

「いぇ・・・集まりで、お見掛けしたくらいで。ただ、とても明るい方で――剣鈿女とは
聞いています」

「――神招姫としての実力は?」

「正直、わかりません。でも御巫家の方々はとても強いです。……波音さんだけ弱いとは
聞いたことがないです。ただ・・・その・・・剣鈿女は性に対してかなり遠ざけられてい
る存在です」

「・・・なるほど」

確かにそのことは、先の調査報告にも含まれていた。

波音・・・つまり剣鈿女は異性と手を繋ぐのも禁止なほど性から切り離された存在。

ゆえに自慰すら経験がなく、性体験などは以ての外であるはずだ。

ところが清花から聞いた話では、波音は目も当てられないほど滅茶苦茶な状態であったと
いうのだ。

その真逆とも言える変貌ぶりに、異様なものを感じざるを得ない。

「白山神社だけで見えた・・・ってことはないよね?」

「はい、それはないかと。知り合いの伯王筋神社にも問い合わせましたが・・・やはり、
同じ映像を見たとのことです」

(一体どうやって、そんなことを……?)

各社には当然ながら、霊力の強い神棚が設えられている。

その一面をまるでスクリーンのようにして、波音の調教場面が映し出されたらしい。

自らセックスを強請り、あられもなく調教を願い――

笑いながら悦び、性行為に夢中な波音の姿がである。

つまりは性的に最も隔絶された彼女がとの点で、清花が受けた衝撃の強さは如何許りかと
容易に想像がつく。

いずれにせよ、伯王筋の神棚にその映像が映し出されたという事実。

またその謎は当然に、今回の事件に無関係とは思えない。

「あの、マクマさん・・・」

「んっ?」

「・・・澪さんや、流さんは無事なんですか?」

そのように考えを巡らせる彼に、清花がふと問いかける。

尤も彼女とすればそれこそ最大の関心事であり、当然の内容ではあった。

「ああ。流は澪さんの救出で動いているよ。ただ、こうなった以上は・・・彼にも急ぎで
救出に向かってもらうことになるだろう」

「・・・」

「大丈夫。清花ちゃんも、流の強さは知っているだろ?・・・それに、今回は俺も行くん
だからな」

マクマの言葉を聞いた清花は、少しだけ安堵の表情を見せた。

というのも彼女は普段から、流によって彼の強さを聞かされていたためだ。

ただ、現実は些か異なってはいるのだが。

「でも、波音様は・・・」

確かに直接の被害状況をその目で見ている清花のことだ。

ある意味性奴隷の様相を呈している波音については、すでに最悪の状況を想定しているの
かもしれない。

「彼女も大丈夫。それを含めて、今から援軍も期待できるしね。ほら、もうすぐだ――」

その言葉からは二人の行動目的と、その目的地付近まで辿り着いたことが窺われた。

御巫宗家・三之蔵前。

広大な敷地だが監視が少ないため、無事二人で潜入出来た。

その場でただ、ぼんやりと立っているものがいる。

痛ましい表情ではあるが、あまりに美しい女性ではあった。

それは一般人ならば、写真に収めたくもなるであろうほどの美しさ。

しかし清花は、そんなことを思いもしなかった。

彼女の名は、神薙ヤヨイ。

剣鈿女・御巫波音の呪精体にして神招姫神薙家のひとりである。

――彼女は、ふと気づく。

自分を見て、つらそうな顔をする少女がそこにいた。

・・・何故だろう?

ヤヨイはただ、一言だけを訊ねる。

「・・・どんな顔しとる?うち――」

「……ひどい顔です」

「そうか・・・。」

他にもひとつ、気配を感じる。

それも、知らないものの気配。

だが、そんなことはどうでもいい。

すでにそう思えるほど、ヤヨイは憔悴しきっていた。

その様は、いわば放心状態。

「・・・この方のお話だけ、聞いていただけますか?」

「・・・・・・」 

清花がそう切り出すが、ヤヨイは殆ど反応を見せなかった。

相変わらず虚ろな表情のままで、焦点すらも合わせていない。

そんな彼女に、清花は重ねていった。

「すぐに、済みます。・・・今はきっと、お辛いでしょう――いえ、辛いなんてものじゃ
ないでしょう。でも、今聞いてほしいんです。お願いします・・・。」

そう言いながら清花は、マクマを紹介していく。

そのうえで終わりに、彼とあわせて頭を下げた。

「・・・・・・」

ヤヨイはここではじめて、清花の顔を正視した。

伯王筋末席の白山神社の巫女だということは、すぐにわかった。

そもそも一度しか見たことがなく会話もしていないが、特殊な生れのため異常に記憶力が
良いヤヨイにはわかっていた。

ただ、その頭はほとんど動いていない。

もう誰も彼も、どうでもよかった。

自らの行動力のなさと、自己嫌悪。

そして波音のことだけで、すでに頭がいっぱいだった。

「波音さんを、助けにいきませんか・・・?」

「!!!」

ヤヨイは視線を上げると、その問いかけのみに初めて反応を示した。

「あなたの友達である波音さんは呪姉・・・つまり姉を助ける為に、禁忌を犯しました。
あなたは、しないのですか・・・?」

「・・・・・・」

抑々が剣鈿女の呪精体であるヤヨイは約 500 年もの長きに亘り恐れられ、その能力のみを
求められてきた。

つまりは既に、通常の人間とは似て非ざる者だったのだ。

そして、今から 5 年前のこと。

かつてのヤヨイは極めて機械的に、新しい主人である波音に自己紹介した。

目の前の少女も、自分を道具としてしか見ないはずだ。

それが 500 年続いていた、己の役割。

むしろ、当然とさえ思っていた。

ところが、波音だけは違っていたのだ。

「そんな堅苦しいのはやめてよ。確かに、あなたは私の・・・剣鈿女の呪精で、区切るの
も私だけど・・・でも、友達になろう?」

馬鹿だ。

嘘をついている。

そう思った。

(「やっち」・・・か――)

今では“やっち”と渾名で呼ばれ、それに自分も応える関係。

まるで太陽のような子、いつしか大事なトモダチだ。

このままでいれば、必ず事態は拙い方向へ進んでいく。

確かに、そう感じてはいた。

そのうちに澪はんも、なみちゃんもいなくなった。

自分が取るべき行動は、一体何だったのだろうか。

同じく呪精体であり神薙家であるムツキもキサラも、そのうえ実の姉妹である涼皇すらも

波音と澪の居場所を知っていたはずだ。

それでも、誰一人として動かなかった。

(あの 3 人は、うちよりもずっと強い――せやけど、動かへんかった。何か、理由がある
はずやねん)

その理由がわかるまでは、動けない。

ヤヨイはそう考え、ただ只管に耐え続けた。

そして、数時間前。

神棚ネットワークに波音の調教映像が映り、壊れていく様が中継された。

全国 140 か所の神棚に映し出されたその時、ヤヨイは心の底から後悔していた。

なみちゃん以上に、大切なものはなかったのに。

(――トモダチに、なろう。)

波音の言葉を思い出したヤヨイは、もはや迷うことなく応えていた。

「ああ。うちも行くわ!!」

たとえ呪精体の定めに逆らい額の勾玉を破壊され、自我を壊されてもいい。

まだ、なみちゃんは生きている。

生きてさえいれば、希望はある。

なにより、いま行動しなければ後悔する。

悔いるのは、もう今のいまだけで充分だ。

神薙ヤヨイはその眸に光を戻すと、そう覚悟を決めたのであった。

「・・・んで、どうなってんねん?」

かくして三人となり、再び移動をはじめた車の中。

助手席に座ったヤヨイが、隣のマクマに問いかける。

「何がですか?」

「あのな……“何が?”やないで。せやから何で、なみちゃんや澪はんが南方とかいう
怪しいおっさんにめちゃくちゃにされて、精まで吸われとるんや!?」

ヤヨイは迷いを断ち切ったことで吹っ切れたのか、どこか喧しい調子で捲し立てる。

まあ元気があるのは良いことと、清花も安堵の様子。

「それは、我々も調査中で――」

「しかも聞けばやで。現場は榊総研で神威もみんな知ってるかもってどういうことやねん。
まったく意味わからへんし、これ総代代理の涼皇も全部知ってんの?」

マクマは当初、ヤヨイから手掛かりとなる情報をある程度は聞き出せると考えていた。

ところが、彼女は本当に何も知らなかったのだ。

寧ろ、こちらに情報を聞いてくる始末である。

「・・・はぁ。」

外れた期待は溜息へと形を変え、そのまま彼の口から零れ落ちた。

「なんやなんや。まるでうちが何も知らんから、がっかりしたような顔は?」

「良ぉくお分かりですね。実にその通りです――がっかりですよ・・・」

「いや、うちかて思ってはいたんやで?――その、裏があるとは」

「・・・・・・」

絶対に、嘘だ。

マクマは無言のうちに、そう直観していた。

こいつは蚊帳の外で計画を何も知らない、寧ろ知らされていない。

しかも、勘も鋭くもない。

その顔や雰囲気とは違い、所謂馬鹿だと判断した。

「せやけど、もし向こうについてムツキがいたら一体どないするつもりやねん。あんたの
弟子?流?とかいうのも終わりやで?」

完全に見透かされたことで、僅かに気まずくなったためであろうか。

ヤヨイは話題を変えて、マクマに訊ねていた。

「その場合、あなたも終わりでは?ムツキ・・・神威とやらも、冷酷非情なのでしょう?
裏切り者のあなたも、真っ先に死にますよ」

「まぁ、そうやけど・・・」

今更ながら自分の立場を再認識したのか、ヤヨイは語尾を濁らせた。

「一応そのあたりは、全く考えていないわけではありません。それよりもう一つ、最後に
お尋ねをしますが・・・“百姫計画”という単語で、心当たりは?」

「まったく知らん。全っ然わからへんわ!!」

むしろ胸を張って「どないや!!」とばかり自信満々に応えるヤヨイ。

その姿は、却って小気味がよいほどである。

「・・・・・・」

繰り返しになるが、ヤヨイは極めて美しい容貌の持ち主だ。

黙ってさえいれば、何でもお見通しという神秘性すらも兼ね備えている。

ところがその口から出る言葉の数々としかも関西弁というあまりの落差に、マクマすらも
思わず全身の力が抜けていくのを感じていた。

(やれやれ・・・嘘をついているか確認しようと思いましたが、これではその必要もなさ
そうですね。あるいは、本当は策士なのか――まあ、可能性は低そうですが)

「そ、そうですか・・・まぁ、協力してくれるなら何でもいいです。では、神棚ネット
ワークと言う言葉に聞き覚えは?」

「もちろん。それは・・・よう、知っとる――」

再び波音のことを思い出したのか、その声は語尾へ向かうに従い重いものへと変わって
いった。

ヤヨイの話を以下に纏めると、概ね以下のようなものであった。

神棚ネットワークとは抑々太平洋(※大東亜とも)戦争の開始にあたり、日本国内各戸に
神棚の設置がほぼ半強制的な形で義務づけられたことに由来する。
家々のみならず官公庁をはじめ各道路網、果ては職場まで神棚と言う呪跡の網が張り巡ら
されたのである。
これは政府が総力戦を遂行させるために施した洗脳的措置であったが、神道集団には更に
別の恩恵をも提供してくれた。
それが、監視モニター網としての役目である。
いわば、呪術的な N システム。
こうして全国津々浦々に張り巡らされた神棚という名の超盗視聴機を用い、神衹院の極右
派は反対勢力を弾圧していったのだという。

そう語り終えたヤヨイの声は、完全に固く重苦しいものへと変わっていた。

(なるほど・・・それで、良く分かった。あれは送信だけではなく、受信も出来る・・・
つまり盗撮・盗聴も出来るというわけだな――)

送信とはこの場合、波音の痴態を晒した行為だ。

一方で受信とは、神棚を通した盗聴・盗撮行動を意味する。

その趣旨を理解したマクマもやや口調を砕き、その心裡へと微かな同調をみせる。

「しかし……どうしてそのことを知ってるんだ?」

「そもそも神棚ネットワークっちゅうもんはめっちゃ複雑で、管理や扱いが難しいねん。
人間の脳では無理や。せやから専門の一族が操っとる――ウチのような、神薙家のもんが
な」

答えながら言外に、自分は人間ではないとヤヨイは伝えてくる。

その口調は、まさに真剣そのもの。

ところがマクマの抱いた感想は、実にその対極を成すものであった。

(――こんなアホなやつが、その神棚ネットワークを操れるのか?)

確かに見た目だけは資質充分であるが、その中身が問題である。

そのことが彼女にも伝わったのかは不明だが、ヤヨイは笑いながら続けた。

「まぁ、うちは神薙家の中じゃ弱いほうやから。受信しか出来へんけどな」

「・・・まあ、そうでしょうねぇ・・・」

再び呆れたような調子のマクマに、ヤヨイが食って掛かる。

「なんや、その反応は。どういう意味やねん」

「いや、自分でいま弱いって、そう言ったばかりじゃないですか?」

言いながらマクマは、ここで車を止めた。

「さて、着きましたよ。ここから先は、ひとまず貴女だけでどうぞ――」

「――あんたは?」

ヤヨイが訝しそうな視線を、彼へと向ける。

もっともマクマの正体を知らない以上、仕方のないことだろう。

「私は私で、別な役割があるのです。つまりは裏方ですね」

「ふうん。というか、あんたから全然力を感じないんやけどな・・・まぁ、ええわ。んで、
その自慢の弟子はどこにおんの?」

まさに、そのような遣り取りの最中。

突如、大地が揺れ始めた。

まるで地震のような響きが足元から、しかも局地的に伝わって来る。

「はぁ。待つようにとは言っていたんですが、どうやら何かあったみたいですね。貴女も
乗り遅れないよう、すぐに行って下さい――」

「確かに、この力・・・わかった!!」

明らかに自然現象とは異なるその揺れに、恐らくは何かを感じたのだろう。

ヤヨイは瞬時に真顔となって頷くが早いか車を飛び出し、その中心へと走っていった。

その後ろ姿を見ながら、マクマは考える。

榊製薬つくば総合研究所、通称“榊総研”――。

先頃、彼が潜入を果たした時のことだ。

ひとまず無事には潜り込んだものの、あまり手掛かりがなかった。

それでも警備の程度などから、ある一定の目星はつけられる。

なお地上敷地内においては当然に通常の研究施設以上のものはなく、淫魔であるマクマに

とって潜入自体は極めて容易である。

一方で地下層へと続くルートに限って言えば、軍関係施設を思わせるほどの厳重なる警戒
網が敷かれている。

尋常一様の手段では到底近づけないことが、すぐにわかった。

さりとて早々に撤退することも嫌った彼は、暫く様子を伺うことにした。


そして待つこと、小一時間程。

主に人の出入りを観察していた彼の前に、一人の女が目に留まる。

(あれは……甲凪家当主、甲凪美冬か?やはり、情報のとおりだな・・・)

もちろん、マクマと甲凪美冬との間には面識などない。

写真で見た程度だが、その特徴的なポニーテール姿のおかげで直に見当がついた。

関係者であろう甲凪美冬は容易く警備を通過、そのまま地下へと降りて行った。

本来であれば彼自身も地下へと潜入し、更なる手がかりを得たかった。

ところが一介のナイトメアに過ぎない彼は、もし神威や甲凪美冬などの神招姫に見つかり
でもしようものなら瞬殺されてお終いである。

ひとまず、地下に何かがあるのは確実だ。

それがわかっただけでも、収穫としよう。

彼は決して、深入りをしない。

むしろ、徐々に仕込みを済ませての長期戦を得手とする。

かくて無事生還を果たした彼は、流にもそのことを伝えていた。

しかし、自分の命令を待たずに動いたことは計算外だった。

あるいは勘のいい男だから、何か事態の急変を察知したのかもしれない。

いずれにせよ、計画はすでに動き出したのである。

(さて。いよいよですが――果たして、どうなりますかねぇ)

ハンドルに凭れるように腕組みをしながら考える彼に、後部座席の清花が話しかけた。

「それで、私たちはどうしますか……?・・・マクマさんは、いかないんですか?」

「・・・俺たちは、切り札だから。まだ動かない。切り札は、誰にも知られていないから
こその切り札なんだよ」 

マクマはそう語りながら、少しだけ笑った。

「清花ちゃんも俺も、それぞれ役割がある。まだここじゃない――それに南方には、あの
流とヤヨイの二人なら余裕で勝てる。それに、神威が向こうにいないことは確認済みさ」

「ほっ……そうですか……」

ひとまず状況の理解をして安堵をしたのか、清花の緊張もやや解れたようだ。

「もし・・・いや、何でもない――」

マクマは一瞬そう言いかけて、そのまま言葉を切った。

もしヤヨイが言うように、神威がいたら。

その時は自分や清花がいたところで、死体の数が二つ余計に増えるだけである。

と言うのも実際のところ、神威が榊総研にいるかの確認は取れてはいなかったのだ。

つまり先ほどの発言は、清花を安心させるためだけの方便。

いわば、嘘である。

あの聖護連合(ユナイテッド=ホーリーズ)アメリカ代表の一人ミア・キャボットですら
手も足も出ない八幡神威の実力。

・・・即ち、ゲーム・オ゙ーバーだ。

彼にも当然、それ以外の結論を見出すことなどできはしなかった。

これはbc8c3zがあらすじ・設定を作り、それを元にMokusa先生に作ってもらった綾守竜樹先生の百姫夜行の2次創作です。そのうちアンケートをすると思いますが、その際にご協力いただけましたら幸いです。

今後もどんどん続いていきます。
よろしくお願いします。

3件のコメント

  1. 登場人物がだんだんと増えてきた回でした。
    綾守先生の他の作品のキャラクターたちも出てきて先生の一ファンとしては嬉しい限りです。
    マクマは戦闘力はそんなになさそうなのでここからどのように立ち回ってきて、女キャラたちを堕として行くのかが気になります。
    本編と本格的に関わってきそうな感じでしたので、自作からどのように分岐していくのかも見応えの一つかと思われます。
    金銭を巻き上げられているというミア相手に対しても頑張ってほしいところですw

    1. こんばんは、シンさん。
      ご感想ありがとうございます。
      まだまだ序盤ですが、今後いろいろと分岐していきますので、よろしくお願いいたします。
      日本来日後にはミアには約束された逆転があるので、楽しみにしてくだされば幸いです。
      ミアが物語に絡むのはもう少し先の話ですが、これからもよろしくお願いします。

  2. こんばんは、また感想が遅くなり申し訳ありません。

    こうして世界観を整理すると綾守先生がどれだけ精巧に作品を作っていたのかが伺えて面白いです。
    流の師匠であるマクマの正体は淫魔だったんですね。淫魔だからエロが最優先ではあるのだろうけれど、自殺しようとした流を助けたり可愛い女の子には庇護欲が湧いたりと憎めないキャラですね。是非とも非力さを卑怯卑劣な策謀で補って涼皇やミアの日米爆裂ボディを嬲り貫き堕としてやって欲しいものです。

    ヒロインたちのプロフィール整理もこれから起こるであろう魔淫の宴の序曲として素晴らしいですね。
    いつかあなたの考える綾守ヒロインの身長体重3サイズを明かして頂けると嬉しいです。

    とはいえ最強の神招姫である神威をかどわかした(ことになっていた)南方を相手に澪一人が派遣されることに澪と波音が疑問や危機感を抱いていなかった事や、あんまりにもあんまりなお気楽具合のヤヨイ(波音に澪の危機を教えれば救出に向かう事は必定なのにおねだりされたからとあっさり陥落。南方に引出物として送ったも同然)のような荒い部分にさりげなく突っ込みがあってでクスッとしました。

    波音のクラスメイトではなくなった清花ですが、清純そのものだった波音が全国放送で乱れ狂い散るさまにショックを受ける様子がとても素敵でした。ありがとうございます。

    気を長くして更新をお待ちしていますので、残暑に気を付けてお過ごしください。

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